2016年7月15日
実に久しぶりに新宮山に行ってみた。
最初に行ったのは、公園になる以前、もういつか忘れるくらい昔だ。今のように立派な階段や門等はなく、荒れ果てた山の原野のようなところで、何かの石碑がごろごろしているだけで、早々に山道を下って北の星田の村中に下った。
ちょうど、新宮山遺跡のレポートをいただいたので行ってみたのだが、レポートは詳細だが、まあ研究者のもので解析中心。遺跡も破壊され尽くしていたので、あまりおもしろいものではなかった。
山上には八幡宮があった。宮跡に、延慶2年銘(1309)の五輪塔の残欠と天文17年(1548)の宝篋印塔が残っている。
現在、新宮山は星田公園として新しく生まれ変わっている。平成9年5月20日オープン、面積約4800坪、5つの広場になっているという。
新宮山は標高65メートルで、麓には弥生時代の星田最古の米作りの跡が見つかっている。古墳の石棺があったらしいが、現在は行方不明。
平安時代になると奈良興福寺別院円成院領星田庄や石清水八幡宮領大交野庄星田郷などの名称が史料にあらわれ、石清水八幡宮の荘園関係が長く続き、鎌倉時代には新宮山八幡宮が勧請された。その八幡宮跡があって、ここを新宮山というようになった。
また、北の低いところに愛染律院跡があるが、今は草ボウボウの単なる原っぱ。真言律宗で八幡宮の社坊であったようだ。新宮山に6支院あり、宝暦の時代には愛染院1院になっていたようだ。
参考:http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/hosida02/
北のほうに降りてゆく。このあたり、昔と雰囲気が変わっていない。
灯篭の頭だけが残っているが、お花が供えてあった。
お地蔵さん?
何にしても蚊が多い。ほうほうの体で逃げ帰る。星田の村中へ
以下は帰宅の道すがら、ちょっと道草。あの倉庫の横にお地蔵さんが・・・
少し先には石灯篭の頭が見えるが、どういう謂があるのかさっぱり分からない。
もう、お顔も判別できません。
軽い散歩でした。
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