2016年11月9日
年末はブログの以降、正月は古いVHSビデオのデジタル化に没頭していて山登りの「ヤ」もない日々でした。やっとこさで、ダビングも終り、昨年の山登り記録をまとめておきます。山登りというより、散歩。
奄山、星田60山の一つです。星田の山は今までにほとんど登っていますが、ピークハントには無頓着だったので、「星田60山」としては登っていませんでした。奄山もまだです。ちょっと登ってみようかな。
「星田60山」は今まで、いわゆる「好きもの」の方?が登っていたようですが、今年はもっと一般化するのではないかという気配がありますね。交野タイムスに紹介されているので。

◆奄山のピーク
場所はグリーンの ● のところ。星田妙見さんの南西です。地図はライセンスを受けてないので、地理院地図にGPSログを書き込んだものを400×296picにカットしてあります(地図ロイドから切り出し)。

さて、どこから登るか?
妙見山の西にある小道を登って行って、公園のあたりから見てみる。人家の右手、テニスクラブと人家の間を登っていけそうですが、ロープで通せんぼあり。

グルッと回って南星台バス停から見てみる。あの崖の上ですが、ミツバチの箱があるので道はありそうです。

結局、この崖の左手、奄山の西にある畑から登りました。この畑は交野市の土地ですが、いっとき、地区の住民が勝手に使っているとして問題にした人間がいましたが、実際は、交野市の担当から、「必要になったらいつでも返す」という(口)約束のもと、「建造物は別として、畑くらいなら自由に使ってよい」とされたものでした。このバス停の裏手も交野市の土地のようですが、フェンスがしてあって、普通は草ボウボウで見苦しい。それに比べたら、菜園として使っている方がよほど見栄えはよいと思うのですが・・・
それはともかく、畑の一角からの取り付きは明瞭でした。かつ途中まで踏み跡があり、登って行くと少々ブッシュになりましたが、どうということもなく頂上へ。

プレート

ミツバチの箱と境界かなにかの標石がありました。

樹林の様子

あっけなく終わってしまいましたが、事後、ヤマレコを見ていると、ピークの東側の台地みたいなところに、宝篋印塔か何かの残欠があるような。
そもそも、なんで「奄山」と呼ぶのかが分かりませんでしたが、字典によると、「奄」とは、「両手両足を伸びやかにした人」の象形と「稲妻」の象形から成り立ち、雷雲が人の頭上を覆う、とか、長時間にわたってある事柄が覆う事を意味している、そこから、「覆う」、「久しい」を意味するようになった、との説明がありました。雨乞いに関する祭祀でもしていたのか?もしくは、この付近で妙見川が山から平地に出てきて、運んできた土砂で天井川が始まり、大雨の時は氾濫もしたでしょう、その水鎮めのために祭祀をしたとか・・・・石碑を調べたら何か分かるかもしれません。詳しい人、どうぞ。
(いったん終り)
年末はブログの以降、正月は古いVHSビデオのデジタル化に没頭していて山登りの「ヤ」もない日々でした。やっとこさで、ダビングも終り、昨年の山登り記録をまとめておきます。山登りというより、散歩。
奄山、星田60山の一つです。星田の山は今までにほとんど登っていますが、ピークハントには無頓着だったので、「星田60山」としては登っていませんでした。奄山もまだです。ちょっと登ってみようかな。
「星田60山」は今まで、いわゆる「好きもの」の方?が登っていたようですが、今年はもっと一般化するのではないかという気配がありますね。交野タイムスに紹介されているので。

◆奄山のピーク
場所はグリーンの ● のところ。星田妙見さんの南西です。地図はライセンスを受けてないので、地理院地図にGPSログを書き込んだものを400×296picにカットしてあります(地図ロイドから切り出し)。

さて、どこから登るか?
妙見山の西にある小道を登って行って、公園のあたりから見てみる。人家の右手、テニスクラブと人家の間を登っていけそうですが、ロープで通せんぼあり。

グルッと回って南星台バス停から見てみる。あの崖の上ですが、ミツバチの箱があるので道はありそうです。

結局、この崖の左手、奄山の西にある畑から登りました。この畑は交野市の土地ですが、いっとき、地区の住民が勝手に使っているとして問題にした人間がいましたが、実際は、交野市の担当から、「必要になったらいつでも返す」という(口)約束のもと、「建造物は別として、畑くらいなら自由に使ってよい」とされたものでした。このバス停の裏手も交野市の土地のようですが、フェンスがしてあって、普通は草ボウボウで見苦しい。それに比べたら、菜園として使っている方がよほど見栄えはよいと思うのですが・・・
それはともかく、畑の一角からの取り付きは明瞭でした。かつ途中まで踏み跡があり、登って行くと少々ブッシュになりましたが、どうということもなく頂上へ。

プレート

ミツバチの箱と境界かなにかの標石がありました。

樹林の様子

あっけなく終わってしまいましたが、事後、ヤマレコを見ていると、ピークの東側の台地みたいなところに、宝篋印塔か何かの残欠があるような。
そもそも、なんで「奄山」と呼ぶのかが分かりませんでしたが、字典によると、「奄」とは、「両手両足を伸びやかにした人」の象形と「稲妻」の象形から成り立ち、雷雲が人の頭上を覆う、とか、長時間にわたってある事柄が覆う事を意味している、そこから、「覆う」、「久しい」を意味するようになった、との説明がありました。雨乞いに関する祭祀でもしていたのか?もしくは、この付近で妙見川が山から平地に出てきて、運んできた土砂で天井川が始まり、大雨の時は氾濫もしたでしょう、その水鎮めのために祭祀をしたとか・・・・石碑を調べたら何か分かるかもしれません。詳しい人、どうぞ。
(いったん終り)
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