2017年1月1日
星田60山を一気通貫、通しで登ろうとしています。里山のピークはほとんど登っているし、登っていないピークも場所は確認しています。しかし、里地(って、もう市街化区域ですが)のピーク(新宮山、高岡山、交野山、女山)は今まで気にも留めてませんでした。
その中で女山の場所が分からない。その場所を特定しつつ登ってみますが、女山は無理やなあ・・

◆堺縣管下河内国第三大區三小區 星田郷部分より
(星田歴史風土記 交野市教育委員会編)
訂正:出典は、西井長和 著 「星田と徳川家康公」巻末付録
■女山はどうも無理やな
新宮山、高岡山、交野山は分かるにしても、女山が分からない。ということで、調べました。
窪田正さんの星田60山マップには女山の場所は明記されていませんが、久保池のかなり北の方にあるらしい。
堺県管下河内国第三大区三小區九番領星田邨萬分之六図(以下、明治の星田地図)とそれを元にした大屋さんの明治の星田地図によると、久保池の下の池の北方に「女山」と記された山(場所?)があります。http://kohya.mond.jp/mounthorm.htm
久保池の北方といえば、打ちっぱなしのゴルフ場のあたりですが、住宅地かゴルフ場で、そんな山らしいいものはありません。とりあえず、ゴルフ場の北にある竹やぶマウンドに行ってみました。
ゴルフ場の東尾根(左)と北ピーク。どちらも久保池からは離れ過ぎです・・・


ぐるっと回って東大谷のお地蔵さん。久しぶりです。
この裏手の道は通せんぼがあったので、左手の旧街道(山の根の道)を入って行きます。

適当なところから道を見つけて奥に入って行くと、ピークらしきところに来ました。境界標はありまして、どなたか物好きは来ているようです。

ここより他に高いところはない。いくらなんでも久保池からは遠いです。やっぱりここと違う。

明治の星田地図と同じく明治41年測図の陸測図?を比較してみると、女山はどうしても久保池の下の池のすぐ北の尾根の突端です(○印)。村界は折れ曲がっているポイントA,B,Cと久保池を合わせてみるとそうなります。


そうすると、星田西四のすぐ下の丘です。しかし、ここは90mちょっとしかなく、窪田さんマップにあるような100.3mもない。しかしながら、ゴルフ場の造成や、その後の住宅地の造成でもともと110mくらいあったピークが削られたのは十分想定できるので、女山は多分ここでしょう。

◆1967-1970年マップと現在の地理院地図

◆1975-1979年マップと現在の地理院地図
「この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。」
ちなみに、星田山手の住宅地が開発されるまでは、逢阪尾根の坂登山あたりから西に大きな尾根があり合峯嶺や茂草山などという山があったと大屋さんのマップには示されています。女山はその尾根の突端に位置していて、昔を知る地元の人たち、特に打上村の人たちにとっては裏山で、もっとも親近感のある山だったのでしょう。星田60山とはちょっとずれてきますが、里の人たちの名山だったと思われます。
残念ながらここは「立入り禁止」の看板が建っています。WEBでは「女山」の山名板を撮った写真がありましたが、その侵入ルートが書かれていないのも納得ですね。
■次は交野山を目指します。
こちらは「こうのさん」でなく「かたのやま」です。
西側から入ります。

この付近から取付きますが、筍畑(竹畑)なので注意が必要です。

交野山。山名板は2つありました。

山頂から北西、少し低いところに三角点がありました。


水路の道。ここには湧水地がありましたが、ずっと長いこと枯れたままです。


上の水路から下にいたる水路もできていました。この横を伝うと下の道に降りることもできます。
妙見道標。ここは妙見道であり、山の根の道でもあります。
「左 大坂」ですが、今はタンボのあぜ道で通行はできません。

その、大坂方面を見る

妙見さん(星田)方向を見る。南燈明講によるものです。

■高岡山へ
高岡山へ向かう。霊園から行けそうなものですが、ちょっとやめときました。高岡幼稚園の先をぐるっと回って、星田大池堤防の下から・・・

社殿。お正月ですからきちんと掃除されています。

山頂に向かいます

山頂近くにある祠。中には「正一位高岡神社」の石碑がありました。


高岡山頂上からの星田連山の見晴らし。

■あとは新宮山だけ
新宮山については以前にレポートしました。

特になにもありませんが、荒れ荒れの山から都市公園になって、行きやすくはなりました。子ども連れ、ガキ連中が良く遊んでいます。ヨメの話しによると、昔は「あそこには行くな」と言われていたようです。それに比べたら、都市公園化も良かったのではないか。ポケモンの何かが出るらしく、スマホをもった人も良く見かけます。
ヨメは、新宮山を「シングンヤマ」と言っていました。家康の旗掛け松にちなんでのことでしょう。このそばにあるショッピングセンターがあり、その脇にたこ焼き屋があって、なかなかいけるので買って帰りました。いつもは2時頃に終ってしまいますが、今日はお正月で、夕方でも来客も多いそうで、ちょうど合うトレーがなくなったとて、大きめのトレーに入れてもらいました。「中で泳ぎよるのでゴメンネ」ということでしたが、おいしくいただきましたとさ。
(終わり)
星田60山を一気通貫、通しで登ろうとしています。里山のピークはほとんど登っているし、登っていないピークも場所は確認しています。しかし、里地(って、もう市街化区域ですが)のピーク(新宮山、高岡山、交野山、女山)は今まで気にも留めてませんでした。
その中で女山の場所が分からない。その場所を特定しつつ登ってみますが、女山は無理やなあ・・

◆堺縣管下河内国第三大區三小區 星田郷部分より
■女山はどうも無理やな
新宮山、高岡山、交野山は分かるにしても、女山が分からない。ということで、調べました。
窪田正さんの星田60山マップには女山の場所は明記されていませんが、久保池のかなり北の方にあるらしい。
堺県管下河内国第三大区三小區九番領星田邨萬分之六図(以下、明治の星田地図)とそれを元にした大屋さんの明治の星田地図によると、久保池の下の池の北方に「女山」と記された山(場所?)があります。http://kohya.mond.jp/mounthorm.htm
久保池の北方といえば、打ちっぱなしのゴルフ場のあたりですが、住宅地かゴルフ場で、そんな山らしいいものはありません。とりあえず、ゴルフ場の北にある竹やぶマウンドに行ってみました。
ゴルフ場の東尾根(左)と北ピーク。どちらも久保池からは離れ過ぎです・・・


ぐるっと回って東大谷のお地蔵さん。久しぶりです。
この裏手の道は通せんぼがあったので、左手の旧街道(山の根の道)を入って行きます。

適当なところから道を見つけて奥に入って行くと、ピークらしきところに来ました。境界標はありまして、どなたか物好きは来ているようです。

ここより他に高いところはない。いくらなんでも久保池からは遠いです。やっぱりここと違う。

明治の星田地図と同じく明治41年測図の陸測図?を比較してみると、女山はどうしても久保池の下の池のすぐ北の尾根の突端です(○印)。村界は折れ曲がっているポイントA,B,Cと久保池を合わせてみるとそうなります。


そうすると、星田西四のすぐ下の丘です。しかし、ここは90mちょっとしかなく、窪田さんマップにあるような100.3mもない。しかしながら、ゴルフ場の造成や、その後の住宅地の造成でもともと110mくらいあったピークが削られたのは十分想定できるので、女山は多分ここでしょう。

◆1967-1970年マップと現在の地理院地図

◆1975-1979年マップと現在の地理院地図
「この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。」
ちなみに、星田山手の住宅地が開発されるまでは、逢阪尾根の坂登山あたりから西に大きな尾根があり合峯嶺や茂草山などという山があったと大屋さんのマップには示されています。女山はその尾根の突端に位置していて、昔を知る地元の人たち、特に打上村の人たちにとっては裏山で、もっとも親近感のある山だったのでしょう。星田60山とはちょっとずれてきますが、里の人たちの名山だったと思われます。
残念ながらここは「立入り禁止」の看板が建っています。WEBでは「女山」の山名板を撮った写真がありましたが、その侵入ルートが書かれていないのも納得ですね。
■次は交野山を目指します。
こちらは「こうのさん」でなく「かたのやま」です。
西側から入ります。

この付近から取付きますが、筍畑(竹畑)なので注意が必要です。

交野山。山名板は2つありました。

山頂から北西、少し低いところに三角点がありました。


水路の道。ここには湧水地がありましたが、ずっと長いこと枯れたままです。


上の水路から下にいたる水路もできていました。この横を伝うと下の道に降りることもできます。

妙見道標。ここは妙見道であり、山の根の道でもあります。
「左 大坂」ですが、今はタンボのあぜ道で通行はできません。

その、大坂方面を見る

妙見さん(星田)方向を見る。南燈明講によるものです。

■高岡山へ
高岡山へ向かう。霊園から行けそうなものですが、ちょっとやめときました。高岡幼稚園の先をぐるっと回って、星田大池堤防の下から・・・

社殿。お正月ですからきちんと掃除されています。

山頂に向かいます

山頂近くにある祠。中には「正一位高岡神社」の石碑がありました。


高岡山頂上からの星田連山の見晴らし。

■あとは新宮山だけ
新宮山については以前にレポートしました。

特になにもありませんが、荒れ荒れの山から都市公園になって、行きやすくはなりました。子ども連れ、ガキ連中が良く遊んでいます。ヨメの話しによると、昔は「あそこには行くな」と言われていたようです。それに比べたら、都市公園化も良かったのではないか。ポケモンの何かが出るらしく、スマホをもった人も良く見かけます。
ヨメは、新宮山を「シングンヤマ」と言っていました。家康の旗掛け松にちなんでのことでしょう。このそばにあるショッピングセンターがあり、その脇にたこ焼き屋があって、なかなかいけるので買って帰りました。いつもは2時頃に終ってしまいますが、今日はお正月で、夕方でも来客も多いそうで、ちょうど合うトレーがなくなったとて、大きめのトレーに入れてもらいました。「中で泳ぎよるのでゴメンネ」ということでしたが、おいしくいただきましたとさ。
(終わり)
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