2017年2月10日
八軒屋浜から歩き始めて、まだ「いくたまさん」を出たところ。全然進んでいません。いくたまさんの真言坂から天王寺七坂も始まり、興味あるところだし、道中四天王寺もありますが、そんなところを歩いていたら日が暮れます。
熊野街道は御祓筋をほとんどまっすぐ南下しますが、上野王子跡がなぜか東に外れています。遠回りですが、王子跡(伝承地)を拾いながら歩いていきます。できるなら今日中には大和川を越えておきたい。

◆堀越神社熊野第一王子
八軒屋浜から歩き始めて、まだ「いくたまさん」を出たところ。全然進んでいません。いくたまさんの真言坂から天王寺七坂も始まり、興味あるところだし、道中四天王寺もありますが、そんなところを歩いていたら日が暮れます。
熊野街道は御祓筋をほとんどまっすぐ南下しますが、上野王子跡がなぜか東に外れています。遠回りですが、王子跡(伝承地)を拾いながら歩いていきます。できるなら今日中には大和川を越えておきたい。

◆堀越神社熊野第一王子
■コースタイム
13:19 生玉前町喫茶店■昼食休憩 13:49
14:04 ★(4)上野王子跡、上之宮社の跡の碑
14:18 ★久保神社、熊野大神宮を合祀『摂津志』に上野王子祠と記載の神社
14:30 北河堀コンビニ■T休憩 14:41
14:50 ★堀越神社、熊野第一王子
15:00 あべのキューズモール■T休憩 15:08
15:35 ★(5)阿倍野王子神社
15:57 万代池■T休憩 16:02
16:06 帝塚山4丁目駅
16:31 ★(6)津守王子候補地
16:48 ★(6)津守王子合祀止々呂支比売命神社
16:57 墨江コンビニ■T休憩 17:09
17:14 遠里小野商店街
17:20 大和川堤防
17:34 浅香山駅
■マップ
必要部分は手動で拡大してください。
■参考サイト
熊野古道、九十九王子社 神奈備さん
http://www.kamnavi.jp/kumano/index.htm
大阪府熊野街道マップ
http://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
3.四天王寺界隈
喫茶店を出て、かなり風が強くなってきました。寒い。
■上野王子跡
寒い中、上町台地を東へ移動します。清風高校の前あたりでちょっとうろうろしました。 マンションの前にありました。 上之宮社の跡の石碑。上之宮社は四天王寺を守る七社の一つであるとされる。ここが上野王子の跡とされますが、そのゆかりはあとかたもありません。近くの大江神社に合祀されているということでした。大江神社とは夕陽ヶ丘の大江神社かいな?近いといえば近いし、遠いといえば遠い。
マンションはこんな感じで、日常の生活の姿です。

まっすぐ南下していきます。茶臼山近くにある熊野第一王子社があるという堀越神社を目指します。四天王寺さんはパスやね。半日ほどかかりそうですので。
途中、久保神社が鎮座していました。ここは勝山かな?
けったいな!といえばたいへん失礼ですが、岩の上に〇のオブジェ。何かと思ったら、伊勢神宮の遥拝所だそうです。こういうことをするものなのか?

拝殿と由緒


大岩小岩大明神
古い磐座信仰の形を残しているものです。都会の真ん中に今でも磐座を残すのが面白いですが、それは高津宮にもありましたし。

すぐ南は寺田町の公園で、グラウンドがありました。見覚えがあると思ったら、俊徳街道歩きで通った、興国高校のそばでした。公園の角にあったお地蔵さんに改めてご挨拶。



ここから西へ行けばいいものの、コンビニを探してうろうろします。寒いので・・・結局、天王寺近くまで行って見つけました。そこで10分ほど休憩。
この辺り、四天王寺周辺らしく、神社仏閣は多いです。道端のお地蔵さんも多い。
庚申堂あたりの清水地蔵尊。昔、四天王寺名水の一と言われていたようです。


■熊野第一王子社
やっと来ました、堀越神社。

明治中期まで境内に美しい堀が存在しており、人々がその堀を越えて神社に参拝したということから「堀越」と呼ばれるようになった由。テキトーな感じもしますが、地図をみていると町名にもなっているようです。

ここに熊野第一王子社がある。

なるほど、八軒屋浜にあった「窪津王子社」が、いったん熊野神社に合祀され、さらにここ堀越神社に合祀されたのか。

4.阿倍野から熊野街道を南進
さて、ここから一直線に南下します。できるはずです。しかし、あまりに寒く、あべのキューズモールでまた休憩。トイレです。
15:18、阪堺電車の阿倍野駅を越えて南下します。このあたり「熊野かいどう」の石標が目立ちます。

またある。よく見ると「八軒屋浜から6.5キロメートル」と横に彫ってある。まだ6.5kmしか進んでいません。

■阿倍野王子神社
松虫交差点から旧道を行かずに府道を歩いてしまいました。風がやたら強くて帽子が飛びました。
安倍晴明神社の南に隣接してある阿倍野王子神社。ここが阿倍野王子社とされています。第二王子社を名乗っているのか。


茂杜能木霊神。

街道復帰するため路地を歩いていると、民家の前にありました。なんでしょう?近くの公園に「経塚」の碑がありましたが、それと関係するものなのか?

帝塚山で阪堺線の通りから外れて古道に入ったところ。まだ八軒屋浜から8.1kmです。

万代池公園でしばし休憩。またトイレ。

公園から出たところにもありました。

阪堺電車帝塚山4丁目駅。ここから電車は通りを外れて専用線に入ります。

16:14、南海高野線の住吉東駅の西に来ています。住吉大社はすぐ近くですが、もう4時を回っているので、残念ながらパス。

屋根に灯籠の乗った旧家

ちょっと気になる街のパン屋さん。閉まっていましたけど。

ちぎり地蔵尊

「ちぎり」とは十徳の意味なのか。十得ではなく、十徳です。徳ですよ!

長居公園通りに出る前の街道筋。やっと八軒屋浜から10kmです。この界隈、なかなか渋い町並が続きました。もう一度歩いてみたいところです。

長居公園通りに出て道を間違えました。間違えついでに細い路地に入ってみました。南海の沢ノ町駅に引きずられて・・・いや、津守王子が合祀されている止々呂支比売命神社へショートカットのつもりです。
■津守王子推定地
正規の熊野街道は墨江小学校の西側の正面あたりを通っているのですが、ここは裏口。

沢ノ町駅近くの出口地蔵尊

津守王子が合祀されている止々呂支比売命神社


寒いのでまた遠里小野のローソンでトイレ休憩。トイレ休憩、お代代わりにコーヒーを飲む、それがまたトイレ休憩の引き金という悪循環に陥っております。とりあえず、大和川を越えておきます。
遠里小野。「おりおの」ですが、なかなかの難読地名。しかし由緒正しき地名です。
大阪府のサイトによると、万葉集に「すみの江の遠里小野の真萩もて…」などと詠まれている、古代からの当地付近の地名です。ただし、当時は「おりおの」でなく「とおさとおの」であったらしい。その後、太平記』「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり、瓜生野から遠里小野に転じたとの説もある。「うりうの→おりおの」の転訛はあるかも知れません。
先の詩は、「住吉の遠里小野(とおさとおの)の真榛(まはり)もち 摺れる衣の盛り過ぎゆく (万葉集1156) 」らしいです。
引用先(道の旅人さん)


遠里小野編入記念碑。1925年に大阪市に編入されたのを記念して建てられたそうです。それまでは東成郡墨江村大字遠里小野。

道の旅人さんによると、子規の俳句にも遠里小野が出てくるそうです。
火や鉦や遠里小野の虫送 (子規)
ここは、「とおりおの」です。
17:18、もうすぐ大和川堤防。

17:20、大和川堤防にお地蔵さん。
大和川開削後、じっとお守りを続けていたのでしょうか。



12:25、大和川を渡ります。吹きっ曝しで大いに寒い。

堺市に入りました。ここも遠里小野です。1700年ころの大和川付け替えにより、遠里小野も分断されました。しかし、由緒ある地名は残したのだ。
17:34、浅香山駅着。喫茶店で体を温めようとしましたが、この時間、一杯飲み屋しか開いていません。しかたなく帰りました。
(初日終わり)
13:19 生玉前町喫茶店■昼食休憩 13:49
14:04 ★(4)上野王子跡、上之宮社の跡の碑
14:18 ★久保神社、熊野大神宮を合祀『摂津志』に上野王子祠と記載の神社
14:30 北河堀コンビニ■T休憩 14:41
14:50 ★堀越神社、熊野第一王子
15:00 あべのキューズモール■T休憩 15:08
15:35 ★(5)阿倍野王子神社
15:57 万代池■T休憩 16:02
16:06 帝塚山4丁目駅
16:31 ★(6)津守王子候補地
16:48 ★(6)津守王子合祀止々呂支比売命神社
16:57 墨江コンビニ■T休憩 17:09
17:14 遠里小野商店街
17:20 大和川堤防
17:34 浅香山駅
■マップ
必要部分は手動で拡大してください。
■参考サイト
熊野古道、九十九王子社 神奈備さん
http://www.kamnavi.jp/kumano/index.htm
大阪府熊野街道マップ
http://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
3.四天王寺界隈
喫茶店を出て、かなり風が強くなってきました。寒い。
■上野王子跡
寒い中、上町台地を東へ移動します。清風高校の前あたりでちょっとうろうろしました。 マンションの前にありました。 上之宮社の跡の石碑。上之宮社は四天王寺を守る七社の一つであるとされる。ここが上野王子の跡とされますが、そのゆかりはあとかたもありません。近くの大江神社に合祀されているということでした。大江神社とは夕陽ヶ丘の大江神社かいな?近いといえば近いし、遠いといえば遠い。

マンションはこんな感じで、日常の生活の姿です。

まっすぐ南下していきます。茶臼山近くにある熊野第一王子社があるという堀越神社を目指します。四天王寺さんはパスやね。半日ほどかかりそうですので。
途中、久保神社が鎮座していました。ここは勝山かな?
けったいな!といえばたいへん失礼ですが、岩の上に〇のオブジェ。何かと思ったら、伊勢神宮の遥拝所だそうです。こういうことをするものなのか?

拝殿と由緒


大岩小岩大明神
古い磐座信仰の形を残しているものです。都会の真ん中に今でも磐座を残すのが面白いですが、それは高津宮にもありましたし。

すぐ南は寺田町の公園で、グラウンドがありました。見覚えがあると思ったら、俊徳街道歩きで通った、興国高校のそばでした。公園の角にあったお地蔵さんに改めてご挨拶。



ここから西へ行けばいいものの、コンビニを探してうろうろします。寒いので・・・結局、天王寺近くまで行って見つけました。そこで10分ほど休憩。
この辺り、四天王寺周辺らしく、神社仏閣は多いです。道端のお地蔵さんも多い。
庚申堂あたりの清水地蔵尊。昔、四天王寺名水の一と言われていたようです。


■熊野第一王子社
やっと来ました、堀越神社。

明治中期まで境内に美しい堀が存在しており、人々がその堀を越えて神社に参拝したということから「堀越」と呼ばれるようになった由。テキトーな感じもしますが、地図をみていると町名にもなっているようです。

ここに熊野第一王子社がある。

なるほど、八軒屋浜にあった「窪津王子社」が、いったん熊野神社に合祀され、さらにここ堀越神社に合祀されたのか。

4.阿倍野から熊野街道を南進
さて、ここから一直線に南下します。できるはずです。しかし、あまりに寒く、あべのキューズモールでまた休憩。トイレです。
15:18、阪堺電車の阿倍野駅を越えて南下します。このあたり「熊野かいどう」の石標が目立ちます。

またある。よく見ると「八軒屋浜から6.5キロメートル」と横に彫ってある。まだ6.5kmしか進んでいません。

■阿倍野王子神社
松虫交差点から旧道を行かずに府道を歩いてしまいました。風がやたら強くて帽子が飛びました。
安倍晴明神社の南に隣接してある阿倍野王子神社。ここが阿倍野王子社とされています。第二王子社を名乗っているのか。


茂杜能木霊神。

街道復帰するため路地を歩いていると、民家の前にありました。なんでしょう?近くの公園に「経塚」の碑がありましたが、それと関係するものなのか?

帝塚山で阪堺線の通りから外れて古道に入ったところ。まだ八軒屋浜から8.1kmです。

万代池公園でしばし休憩。またトイレ。

公園から出たところにもありました。

阪堺電車帝塚山4丁目駅。ここから電車は通りを外れて専用線に入ります。

16:14、南海高野線の住吉東駅の西に来ています。住吉大社はすぐ近くですが、もう4時を回っているので、残念ながらパス。

屋根に灯籠の乗った旧家

ちょっと気になる街のパン屋さん。閉まっていましたけど。

ちぎり地蔵尊

「ちぎり」とは十徳の意味なのか。十得ではなく、十徳です。徳ですよ!

長居公園通りに出る前の街道筋。やっと八軒屋浜から10kmです。この界隈、なかなか渋い町並が続きました。もう一度歩いてみたいところです。

長居公園通りに出て道を間違えました。間違えついでに細い路地に入ってみました。南海の沢ノ町駅に引きずられて・・・いや、津守王子が合祀されている止々呂支比売命神社へショートカットのつもりです。
■津守王子推定地
正規の熊野街道は墨江小学校の西側の正面あたりを通っているのですが、ここは裏口。

沢ノ町駅近くの出口地蔵尊

津守王子が合祀されている止々呂支比売命神社


寒いのでまた遠里小野のローソンでトイレ休憩。トイレ休憩、お代代わりにコーヒーを飲む、それがまたトイレ休憩の引き金という悪循環に陥っております。とりあえず、大和川を越えておきます。
遠里小野。「おりおの」ですが、なかなかの難読地名。しかし由緒正しき地名です。
大阪府のサイトによると、万葉集に「すみの江の遠里小野の真萩もて…」などと詠まれている、古代からの当地付近の地名です。ただし、当時は「おりおの」でなく「とおさとおの」であったらしい。その後、太平記』「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり、瓜生野から遠里小野に転じたとの説もある。「うりうの→おりおの」の転訛はあるかも知れません。
先の詩は、「住吉の遠里小野(とおさとおの)の真榛(まはり)もち 摺れる衣の盛り過ぎゆく (万葉集1156) 」らしいです。
引用先(道の旅人さん)


遠里小野編入記念碑。1925年に大阪市に編入されたのを記念して建てられたそうです。それまでは東成郡墨江村大字遠里小野。

道の旅人さんによると、子規の俳句にも遠里小野が出てくるそうです。
火や鉦や遠里小野の虫送 (子規)
ここは、「とおりおの」です。
17:18、もうすぐ大和川堤防。

17:20、大和川堤防にお地蔵さん。
大和川開削後、じっとお守りを続けていたのでしょうか。



12:25、大和川を渡ります。吹きっ曝しで大いに寒い。

堺市に入りました。ここも遠里小野です。1700年ころの大和川付け替えにより、遠里小野も分断されました。しかし、由緒ある地名は残したのだ。

17:34、浅香山駅着。喫茶店で体を温めようとしましたが、この時間、一杯飲み屋しか開いていません。しかたなく帰りました。
(初日終わり)
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