2017年2月12日
紀伊路2日目です。今日はできれば泉佐野まで。しかし。もう9時半近いので無理やろなあ。昔の人は1日40kmが普通だったというので、一度は歩いてみたいですが、せめて7時スタートで、もうちょっと碑が長くなってからの日没まででないと、それはあかんでしょう。まあ、長距離早歩きもどうかとは思いますが、どこかで歩いてみたい。

★境王子跡の石碑
紀伊路2日目です。今日はできれば泉佐野まで。しかし。もう9時半近いので無理やろなあ。昔の人は1日40kmが普通だったというので、一度は歩いてみたいですが、せめて7時スタートで、もうちょっと碑が長くなってからの日没まででないと、それはあかんでしょう。まあ、長距離早歩きもどうかとは思いますが、どこかで歩いてみたい。

★境王子跡の石碑
■コースタイム
9:23 JR浅香山
9:38 大阪刑務所角
9:41 7★境王子跡
9:49 方違神社 9:55
10:02 反正天皇陵古墳
10:05 三国ヶ丘高校
10:08 天王貯水池跡
10:17 竹ノ内街道分岐
10:21 大仙古墳北陸橋
10:34 磐之媛の万葉歌碑
10:42 自動車博物館横喫茶店■モーニング休憩 11:08
11:33 御陵前駅喫茶店■T休憩 11:54
11:59 やまのくちはし:御陵前熊野街道起点
12:23 石津神社
12:51 大鳥大社 13:02
13:13 西堺警察署北
13:20 8★大鳥居王子推定値NTT前■休憩 13:29
13:34 街道復帰
-------------------------
13:59 取石分岐
14:17 聖神社大鳥居
14:18 9★篠田王子跡
14:22 小栗地蔵
14:24 高札場跡
14:30 10★平松王子跡■休憩 14:43
14:50 自衛隊前、小栗街道道標
15:03 小栗街道道標
15:04 泉井上神社 15:10
15:18 11★井ノ口王子跡
15:23 和気郵便局横コンビニで雨宿り休憩■ 15:50
15:57 小田町コンビニ■T休憩 16:08
16:26 久米田大町交差点右折
16:33 12★池田王子跡
17:07 作才分岐
17:20 JR東岸和田
28km/8h(山旅ロガー読み)
■マップ
■参考サイト
熊野古道、九十九王子社 神奈備さん http://www.kamnavi.jp/kumano/index.htm
大阪府熊野街道マップhttp://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
1.境王子から始まる
9:23、浅香山出発。今日も9時を回ってからの出発で、距離は多くは望めないでしょう。
15分ほど歩くと、大阪刑務所。ここの角を西に曲がります。

9:41、いきなり境王子跡の石碑が現れます。王子ヶ飢公園。

ほとんどの王子社は、その場所さえも行方知れずということなのですが、推定でも跡地を示してくれるのはありがたい。石碑の後ろはちょっとした空き地で、いかにも祠のあったような感じはします。

傍らにはお地蔵さん。

2.古墳をめぐる
ここからまっすぐ南下すると、7,8分で方違神社があります(9:49)。
残念ながら、ちょうど本殿、拝殿改修中のようで、覆屋がかぶさっておりました。


すぐ傍は田出井山古墳反正天皇陵です。

古墳の東側を半周して正面に向かいます。住宅地ですがなかなか風情のある道でした。散歩する人もいますが、とても静か。
正面から

古墳のすぐ南には三国ケ丘高校があります。前身の大阪府第二尋常中学校が1895年創立というので、そうとうなものです。名門らしく、外観も洒落ている。

こういうものも残してある。旧天王貯水池。

電柱の影が邪魔です。

三国ケ丘高校の周辺も閑静な住宅地ですが、歩くにはもってこいです。ちょっとウロウロしました。さらに南下していくと、途中で竹ノ内街道に出会います。道標なども建っていましたが、街道歩きの集団がたかっておりましたので写真はなし。人気のあるコースのようです。
10:22、南海高野線を橋で越えると、また古墳が見えてきます。大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)。巨大過ぎて単なる山にしか見えない。

熊野街道は陸橋を渡ります。陸橋から見る外堀。

このお堀に沿って古墳の西側を回ります。
今まで見たことはなかったですが、お堀の排水施設。ここで一段下げます。

ここで、系外に排出します。そうでないと、水が腐って仕方がないでしょう。

排水口を下から見る。

古墳の外周道路は遊歩道になっていて、散歩する人多数。
そこに万葉歌碑がありました。磐之媛の熱烈な恋歌!磐之媛は、武内宿禰の子である葛城襲津彦の姫。仁徳天皇の皇后。履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。
メインの石碑には、
ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに (万葉集2-87)

ほかに気になった歌碑
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを (万葉集2-86)

以上、訳文の出典は、http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/iwahime.html
イワノちゃんを苦しめるようなゲス不倫はあかんよ。あかん。
磐之媛は仁徳天皇の側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が記紀には伝わっている。しかし、ボクはイワノちゃんファンなので、そうは思いたくない。こういう論考もあるので読んでみてください。
古墳を出たところで、休憩。今日は朝飯にカステラ一切れをつまんだだけだったので、おなかがすいた。コーヒーも飲みたいし。ということで、道端にあった喫茶店に入る(10:42)。まだモーニングタイムだったので、トーストモーニング。380円は安いなあ。ここで25分ほど休憩。満足です。
さて、大阪府の熊野街道マップによると、街道はここから堺の南旅篭町・御陵前までワープします。紀州街道、熊野街道の起点があるので、それは間違いはないですが、熊野詣をする人にとっては違和感ありありです。なんで、まっすぐ南下しないんだろうと思う。
ともあれ、御陵前の喫茶店でまた休憩。トイレを借りました。御陵前の駅周辺はどことなく場末感がありますが、喫茶店はJAZZがかかっていて、コーヒーもおいしくなかなかのものでした。
写真は御陵前駅

さて街道歩き再開。11:59、やまのくち橋


熊野街道とは関係ありませんが、この付近、堺の環濠都市跡だそうです。

街道にはちゃんと「熊野街道」という石標が建っています。

街道筋らしく古い家も残っています。うだつの上がった家。

熊野街道の石標はかなりのピッチで建っています。横面には、「最初は熊野街道は、方違神社から南下していた・・・」と彫ってありました。堺の発展により、大小路あたりが中心なり、そこが街道の始発点にもなったと・・・そうなら、納得できる。
12:11、老松町あたり。

11:23、石津神社に寄りましてご挨拶。


「わが国最古の戎社」だそうで、ご祭神は、いわゆるえべっさんですが、第3座の天穂日命(アメノホヒ)は、当地附近に勢力を張っていた石津連の祖神といわれます。石津連は、「天穂日命十四世孫野見宿禰之後也」
アメノホヒは出雲臣の祖神で、記紀では、国譲り交渉の使者として出雲に派遣されるが、オオクニヌシと意気投合したのかどうかはわからないが、3年経っても報告しなかったという神様ですね。土着してしまった。
延喜式当時は、石津連がその祖神・天穂日命を祀った氏神社だったと思われます。
以上、参照元は、http://www.y-tohara.com/izumi-iwatuta-11.html
3.大鳥居王子
12:51、大鳥大社に来ました。

拝殿

ヤマトタケルの白鳥伝説で、ヤマトタケルの霊である白鳥がいったん河内の古市に留まり、そこから高く飛んで天に上った。こちらには景行天皇43年に衣冠だけを葬ったということから、ヤマトタケルが主祭神となっています。まあしかし、それは伝承であって、本来は当地(大鳥郡大鳥郷)に勢力を張っていたと推測される大鳥連が、その祖神を祀ったのが始まりでしょう。式内社調査報告では、昭和36年(1961)にヤマトタケル増祀の許可を得た、ということらしい。
なお大鳥連は「天児屋根命之後也」ということで、中臣氏系という。
以上、、参照元は、http://www.y-tohara.com/izumi-ootori-11.html
大鳥大社のご祭神話はともかくとして、ここには 摂社として大鳥美波比神社が祀られているのです。ご祭神は天照大神・菅原道真となっていますが、ここに大鳥居王子社が合祀されているとされています。神奈備さん他によると、旧社地はNTT営業所あたりにあったらしく、個人宅に元宮司富岡鉄齊筆の“美波比神社旧址”との石碑があるらしい。


大鳥大社境内は、何かの祭礼があったのか、お店がたくさん出ていました。しかし、お客さんは少ない。

さて、その大鳥美波比神社旧地(大鳥居王子推定地)を見に行きます。何もなさそうなので、跡地を見るだけです。
まずは鳳商店街を行く。

途中で路地に入り、警察署まで来ました(13:14)。北方面を見ていますが、ここが大鳥居王子の推定地というサイトもありました。今、そのサイトがどこだったのか?分からなくなっています。

13:20、ここが、美波比神社旧社地周辺だったというNTT営業所。それだけですが、コンビニで休憩しながら撮影しています。コンビニに休憩しに行ったようなものでした。

元の街道に復帰。やはり、こういう風景が落ち着きます。

図書館を過ぎたあたり、右に入る路地があり、熊野街道の案内看板がありました。その路地が旧街道のようですが、途中で途切れているようです。

途中の公園までは行けますが、その先にはマンションやら巨大なショッピングができていますから。
あとは淡々と広い府道を歩くしかありません。あまり面白くはないが仕方ありませんね。
10分ほどあるくと住宅が途切れてきて畑が現れました。この開放感はなかなかGood。

途中で左手に入っていく小道が分かれましたが、「私有地に付き立ち入り禁止」の鎖が張ってありました。少しいくとその出口があり、自転車が入っていきました。地図をみると、途中で今歩いてきた広い道に合流しているようでした。

まだ堺市と思っていたのですが、そこはもう高石市なのでした。
(まだ続く)
9:23 JR浅香山
9:38 大阪刑務所角
9:41 7★境王子跡
9:49 方違神社 9:55
10:02 反正天皇陵古墳
10:05 三国ヶ丘高校
10:08 天王貯水池跡
10:17 竹ノ内街道分岐
10:21 大仙古墳北陸橋
10:34 磐之媛の万葉歌碑
10:42 自動車博物館横喫茶店■モーニング休憩 11:08
11:33 御陵前駅喫茶店■T休憩 11:54
11:59 やまのくちはし:御陵前熊野街道起点
12:23 石津神社
12:51 大鳥大社 13:02
13:13 西堺警察署北
13:20 8★大鳥居王子推定値NTT前■休憩 13:29
13:34 街道復帰
-------------------------
13:59 取石分岐
14:17 聖神社大鳥居
14:18 9★篠田王子跡
14:22 小栗地蔵
14:24 高札場跡
14:30 10★平松王子跡■休憩 14:43
14:50 自衛隊前、小栗街道道標
15:03 小栗街道道標
15:04 泉井上神社 15:10
15:18 11★井ノ口王子跡
15:23 和気郵便局横コンビニで雨宿り休憩■ 15:50
15:57 小田町コンビニ■T休憩 16:08
16:26 久米田大町交差点右折
16:33 12★池田王子跡
17:07 作才分岐
17:20 JR東岸和田
28km/8h(山旅ロガー読み)
■マップ
■参考サイト
熊野古道、九十九王子社 神奈備さん http://www.kamnavi.jp/kumano/index.htm
大阪府熊野街道マップhttp://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
1.境王子から始まる
9:23、浅香山出発。今日も9時を回ってからの出発で、距離は多くは望めないでしょう。
15分ほど歩くと、大阪刑務所。ここの角を西に曲がります。

9:41、いきなり境王子跡の石碑が現れます。王子ヶ飢公園。

ほとんどの王子社は、その場所さえも行方知れずということなのですが、推定でも跡地を示してくれるのはありがたい。石碑の後ろはちょっとした空き地で、いかにも祠のあったような感じはします。

傍らにはお地蔵さん。

2.古墳をめぐる
ここからまっすぐ南下すると、7,8分で方違神社があります(9:49)。
残念ながら、ちょうど本殿、拝殿改修中のようで、覆屋がかぶさっておりました。


すぐ傍は田出井山古墳反正天皇陵です。

古墳の東側を半周して正面に向かいます。住宅地ですがなかなか風情のある道でした。散歩する人もいますが、とても静か。
正面から

古墳のすぐ南には三国ケ丘高校があります。前身の大阪府第二尋常中学校が1895年創立というので、そうとうなものです。名門らしく、外観も洒落ている。

こういうものも残してある。旧天王貯水池。

電柱の影が邪魔です。

三国ケ丘高校の周辺も閑静な住宅地ですが、歩くにはもってこいです。ちょっとウロウロしました。さらに南下していくと、途中で竹ノ内街道に出会います。道標なども建っていましたが、街道歩きの集団がたかっておりましたので写真はなし。人気のあるコースのようです。
10:22、南海高野線を橋で越えると、また古墳が見えてきます。大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)。巨大過ぎて単なる山にしか見えない。

熊野街道は陸橋を渡ります。陸橋から見る外堀。

このお堀に沿って古墳の西側を回ります。
今まで見たことはなかったですが、お堀の排水施設。ここで一段下げます。

ここで、系外に排出します。そうでないと、水が腐って仕方がないでしょう。

排水口を下から見る。

古墳の外周道路は遊歩道になっていて、散歩する人多数。
そこに万葉歌碑がありました。磐之媛の熱烈な恋歌!磐之媛は、武内宿禰の子である葛城襲津彦の姫。仁徳天皇の皇后。履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。
メインの石碑には、
ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに (万葉集2-87)

ほかに気になった歌碑
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを (万葉集2-86)

以上、訳文の出典は、http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/iwahime.html
イワノちゃんを苦しめるようなゲス不倫はあかんよ。あかん。
磐之媛は仁徳天皇の側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が記紀には伝わっている。しかし、ボクはイワノちゃんファンなので、そうは思いたくない。こういう論考もあるので読んでみてください。
古墳を出たところで、休憩。今日は朝飯にカステラ一切れをつまんだだけだったので、おなかがすいた。コーヒーも飲みたいし。ということで、道端にあった喫茶店に入る(10:42)。まだモーニングタイムだったので、トーストモーニング。380円は安いなあ。ここで25分ほど休憩。満足です。
さて、大阪府の熊野街道マップによると、街道はここから堺の南旅篭町・御陵前までワープします。紀州街道、熊野街道の起点があるので、それは間違いはないですが、熊野詣をする人にとっては違和感ありありです。なんで、まっすぐ南下しないんだろうと思う。
ともあれ、御陵前の喫茶店でまた休憩。トイレを借りました。御陵前の駅周辺はどことなく場末感がありますが、喫茶店はJAZZがかかっていて、コーヒーもおいしくなかなかのものでした。
写真は御陵前駅

さて街道歩き再開。11:59、やまのくち橋


熊野街道とは関係ありませんが、この付近、堺の環濠都市跡だそうです。

街道にはちゃんと「熊野街道」という石標が建っています。

街道筋らしく古い家も残っています。うだつの上がった家。

熊野街道の石標はかなりのピッチで建っています。横面には、「最初は熊野街道は、方違神社から南下していた・・・」と彫ってありました。堺の発展により、大小路あたりが中心なり、そこが街道の始発点にもなったと・・・そうなら、納得できる。
12:11、老松町あたり。

11:23、石津神社に寄りましてご挨拶。


「わが国最古の戎社」だそうで、ご祭神は、いわゆるえべっさんですが、第3座の天穂日命(アメノホヒ)は、当地附近に勢力を張っていた石津連の祖神といわれます。石津連は、「天穂日命十四世孫野見宿禰之後也」
アメノホヒは出雲臣の祖神で、記紀では、国譲り交渉の使者として出雲に派遣されるが、オオクニヌシと意気投合したのかどうかはわからないが、3年経っても報告しなかったという神様ですね。土着してしまった。
延喜式当時は、石津連がその祖神・天穂日命を祀った氏神社だったと思われます。
以上、参照元は、http://www.y-tohara.com/izumi-iwatuta-11.html
3.大鳥居王子
12:51、大鳥大社に来ました。

拝殿

ヤマトタケルの白鳥伝説で、ヤマトタケルの霊である白鳥がいったん河内の古市に留まり、そこから高く飛んで天に上った。こちらには景行天皇43年に衣冠だけを葬ったということから、ヤマトタケルが主祭神となっています。まあしかし、それは伝承であって、本来は当地(大鳥郡大鳥郷)に勢力を張っていたと推測される大鳥連が、その祖神を祀ったのが始まりでしょう。式内社調査報告では、昭和36年(1961)にヤマトタケル増祀の許可を得た、ということらしい。
なお大鳥連は「天児屋根命之後也」ということで、中臣氏系という。
以上、、参照元は、http://www.y-tohara.com/izumi-ootori-11.html
大鳥大社のご祭神話はともかくとして、ここには 摂社として大鳥美波比神社が祀られているのです。ご祭神は天照大神・菅原道真となっていますが、ここに大鳥居王子社が合祀されているとされています。神奈備さん他によると、旧社地はNTT営業所あたりにあったらしく、個人宅に元宮司富岡鉄齊筆の“美波比神社旧址”との石碑があるらしい。


大鳥大社境内は、何かの祭礼があったのか、お店がたくさん出ていました。しかし、お客さんは少ない。

さて、その大鳥美波比神社旧地(大鳥居王子推定地)を見に行きます。何もなさそうなので、跡地を見るだけです。
まずは鳳商店街を行く。

途中で路地に入り、警察署まで来ました(13:14)。北方面を見ていますが、ここが大鳥居王子の推定地というサイトもありました。今、そのサイトがどこだったのか?分からなくなっています。

13:20、ここが、美波比神社旧社地周辺だったというNTT営業所。それだけですが、コンビニで休憩しながら撮影しています。コンビニに休憩しに行ったようなものでした。

元の街道に復帰。やはり、こういう風景が落ち着きます。

図書館を過ぎたあたり、右に入る路地があり、熊野街道の案内看板がありました。その路地が旧街道のようですが、途中で途切れているようです。

途中の公園までは行けますが、その先にはマンションやら巨大なショッピングができていますから。

あとは淡々と広い府道を歩くしかありません。あまり面白くはないが仕方ありませんね。
10分ほどあるくと住宅が途切れてきて畑が現れました。この開放感はなかなかGood。

途中で左手に入っていく小道が分かれましたが、「私有地に付き立ち入り禁止」の鎖が張ってありました。少しいくとその出口があり、自転車が入っていきました。地図をみると、途中で今歩いてきた広い道に合流しているようでした。

まだ堺市と思っていたのですが、そこはもう高石市なのでした。
(まだ続く)
コメント