2017年2月16日


 紀伊路3日目の後半です。樫井川を渡って信達大苗代の一岡神社から山中渓まで。これまでと一転して、王子跡も推定地でありながらよく保存されています。泉南、阪南地元市民による案内看板も多い。楽しいウォーキングができました。

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◆大阪府内最後の馬目王子跡の碑
■コースタイム


13:18 ★19:一岡神社■昼食休憩 13:45
13:47 信達大苗代コンビニ休憩■ 13:55
14:06 ★19:厩戸王子跡
14:20 信達宿
14:32 信達牧野
14:37 大鳥居
14:55 ★20:信達一ノ瀬王子跡、馬頭観音--失念
15:00 岡中分岐
15:07 ★21:岡中大楠、長岡王子候補地 15:12
15:33 ★21:長岡王子跡
15:45 ★22:地蔵堂王子跡
15:58 ★23:馬目王子跡
16:10 地福寺安地蔵尊
16:15 ★23:山中神社、馬目王子
16:24 道祖神
16:25 JR山中渓

28.3km/8時間(山旅ロガー読み)

■マップ


3.厩戸王子跡と一岡神社


 もう1時を過ぎています。朝、東岸和田のコンビニでパンを食べただけなので、昼食休憩場所を探しています。樫井川を渡ってすぐ、泉南市の文化財埋蔵センターがあるので、そこでベンチ、自販機くらいはあるでしょう。と・・・その前が海会寺跡で公園のようになっていました。ひとまずここで休憩(13:15)。
 うろうろしているとその横が一岡神社で、厩戸王子社が合祀されているのでした。

13:18、海会寺跡公園から一岡神社
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拝殿
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確かに境内社として、厩戸王子神社が合祀されています。
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厩戸王子神社の独立した祠があるのかと探してみましたが、どうも見当たらない。
これは知恵の神様。お参りはしておきましたが、そう簡単に知恵を授かるのか?
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ここにも牛神様。泉南地方には牛神様を祀るのが盛んなようです。紀州でも牛神さんを見ました。
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wikipediaには、市杵島神社が「 旧厩戸王子という」と書いてありましたが、本当かどうか?
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拝殿前は明るい広場になっていて、たいへん気持ちの良い場所でした。ここで昼食休憩をさせていただきました(約25分)。

歩き始めると三叉路のところにコンビニがあったので、「なんや」ということでまた休憩(8分)。
コンビニからの葛城山系の眺めは抜群でしたが、どれがどのピークやら?
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厩戸王子社跡は、信達苗代郵便局を越えて次の信号(変則十字路)を北に入ります。

14:06、厩戸王子社跡
ゴルフ打ちっぱなしの横ですが、きちんと整備され、遠くも見渡せる気持ちの良い王子跡でした。
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 この王子跡は熊野街道(ここは紀州街道と同じルート)から少し離れているので、この王子社を経由して樫井川古戦場場碑あたりに通じる古道があったのか?と古い地図(明治43年測図)を調べてみると、、一岡神社の西側に低い丘陵が南北に並んでいて、その西に二重破線路、さらに破線路となり樫井川の合流点付近に続いています。これが旧街道かな?紀州街道はもう太い二重線で示されています。
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◆「この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。」

 この地図をみていると、一岡神社西の低い丘陵に鳥居マークがあります。今の地理院地図と比較してみると、今来た道の途中に鳥居があるのでした。ひょっとしたら、これが厩戸王子社の旧地なのか。

4.信達宿で信達一ノ瀬王子を失念!

 海営宮池を越えると信達市場で、信達宿に入るようです。信達本陣跡もありましたが、おっちゃん二人が玄関前で話し中だったので写真はなし。ここの管理スタッフのようで、挨拶してくれましたけど。

14:20、常夜灯
ここが信長街道が始まるということで、信長街道のちょっと興味ありです。信長の紀州攻め、根来攻めに関係したものでしょう。
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信達宿の案内板
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 古い宿場らしく、しぶい旧家も多い。しかし、ちょっと落ち着きのない街になっている気がしました。古い家も多いが新しい家も多い。それが宿場としての統一感を損ねている。オールドファッションの家を強制するのはできないので仕方のないところですが、街の、そして家のデザインとしてはもうちょっとやりようがあるのではと思ってしまいます。プロの腕の見せ所ではないですか。
 それから、道が狭いうえに車が多い。じっくり写真を撮るのをはばかれるほどです。新旧まだらの家並みと相まって、このうるささが宿場街の落ち着きをなくしているように思えます。
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信達宿の野田フジとして有名ですね。
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泉南石綿の碑
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泉南の石綿禍はニュースでちょっと知った程度ですが、こんなにも石綿工場が集中していたのだ。
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 昔は、断熱材といえば石綿でしたね。ボクも実験でよく使いましたが、まさか被害まではないでしょう。ボクの場合、化学物質による被害というなら肝臓ガンでしょう。今はやりのベンゼンをはじめ、六価クロム、トリクロルエチレン、テトラクロルエチレンなどあまりよろしくないものばかり扱いました。ジクロルエタンだったか?印刷屋さんでよく使う溶剤も使った。これはよく落ちる!硫化水素にも3年間付き合った。考えてみると、ロクなものしか扱っていませんね。
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石綿の碑の横にあった地蔵祠
何か得体の知れないものがあると思ったら・・・・
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屋根を突き抜けて、木が生えているのでした。こういう細かい配慮にはいつも関心します。
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信達宿を過ぎてゆく
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大鳥居の信号を過ぎて、集落のなかにあったお地蔵さん。
ここで、事前に調べておいた一ノ瀬王子跡の場所(のポイント)が間違っていて、ウロウロしました。本物の一ノ瀬王子跡の前まで行って、おかしいなと思い直し、ため池の堤防まで歩きました。いくら歩いてもポイントが間違っているので見つかるはずはありません。
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池の堤防に祀られていたお地蔵さん
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林昌寺への分岐道標を読んでいて、そちらに行こうか迷った挙句、まっすぐ街道(府道64)を行きました。もう峠を越すてしまいましたが、さっきの林昌寺への分岐の右手が信達一ノ瀬王子跡だったのです。失念にもほどがある。
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5.岡中の大クスと長岡王子跡
 岡中の信号で熊野街道は府道64を離れて南に入ります。
阪和線をくぐる前に林昌寺への参道が分離しました。ほんとに行けるんかいな?と思うほどの道。
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岡中の街道筋
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大クスが見えてきました。
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あまりにデカくてフレームに入りません!
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デカいわ!
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立派なモノもお持ちです。
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性懲りもなく横から。当然ながらも信仰の対象になっていました。
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 ここが長岡王子跡という説があるのです。この大クスを見ていると、さもありなん、という気がします。いずれにせよ、立派なものを(樹のことです)を見せていただきました。

 もとの街道に戻って、和泉鳥取の駅前に向かいます。大クスから20分ほどで和泉鳥取駅です。駅の東に鳥居がたっていて、そのあたりが長岡王子のもう一つの候補地です。
 なお、長岡王子跡は確定されておらす、地元の伝承頼みになっているようです。
神奈備さんによると、以下の諸説がある
(1)長岡王子は一ノ瀬王子の別称
(2)岡中を通る阪和線のガード下
(3)和泉鳥取駅の波太神社遙拝鳥居の場所
(4)岡中の樹齢800年の大樟の場所の鎮守社
(5)馬頭観音地蔵尊から南西の峠
神奈備さんは、長岡王子と一ノ瀬王子は別で、長岡王子は(4)の可能性が大と明解に説明されています。

15:33、和泉鳥取駅の鳥居
鳥居は波太神社伏拝鳥居と言われています。
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鳥居の根元を見ると・・・一ノ瀬王子跡→10m
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10mには短そうですが、鳥居裏手に「南無阿弥陀仏」の石碑がありました。これが長岡王子の縁なのか?
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6.山中渓の王子跡
 波太神社伏拝鳥居から川沿いに古道が走っています。道標もありましたが、途中の琵琶ヶ岸懸(びわがけ)が相当厳しいみたいなので、府道64を歩くことにします。

 雨山をバックにした、泉南地方の農小屋。稲木の資材置き場になるようですが、今までの行程でも2,3見ました。泉南特有のスタイルのような気がします。
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琵琶ヶ岸懸は行っていませんが、イメージとしたらこんな場所なのでしょう。これは山中川を府道64の橋からみたもの。
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山中渓の集落に入ります。これは新しい住宅地のようですが、住宅の塀の一角に「熊野古道 びわがけ」の道標がありました。私製ですが、力が入っています。
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地蔵堂王子跡の碑。公園の脇にありました。
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 案内板はよいのですが、「地蔵堂王子の南側に
琵琶ヶ岸懸」というのがよく分かりません。単なる間違いなのか?それとも、この地蔵堂王子跡の場所が間違いで、びわがけの北に地蔵堂王子があったのか?
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琵琶ヶ岸懸はこの公園の先に行ったところだと思いますが・・・
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琵琶ヶ岸懸はパスして、先に進みます。
15:56、「王子原」というバス停がありました。馬目王子社のあった場所のように思えます。
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そこから2分ほどで、馬目王子跡碑
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なるほど、山中神社も外せない。
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まず、地福寺、子安地蔵尊に向かいます。
その途中、筆神さん。
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 明治新政府の学制発布により、寺子屋が廃止されて遠く尾崎村に小学校が設置されることになったが、山中村は通学が非常に困難であったので、当時の戸長が堺県令に嘆願を続けた結果、この地に小学校を設置することが認められた。ここに山中小学校(当時の校名は堺県立第51番小学)があったようです。
 明治の人々は教育熱心だった!生徒も勉強につかった筆をお祀りしたのだ。
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突き当りは地福寺本です。
これは本堂
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どちらが地蔵尊をお祀りしてあるんだろう?
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山中神社へ回ります。
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馬目王子社と八王子社が祀られています。
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馬目王子社。ここにご神体が祀られれいるという。
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お参りを終えて山中渓駅に向かいます。
この土塀もなかなかの渋さ。
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 山中川の源流に産廃処分地を作るようです。源流に産廃という神経がまず疑われます。まだ続いているのか?以前、葛城修験の行者さん達が和歌山県知事に面会、中止の申し入れをして、設置は認めないということになったはずですが、決着をつけていないのか?山中渓および下流の人はたまったものではないでしょう。
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道祖神
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昔も今も山中渓はたまったものではないということか。

 大阪府内の王子社を巡りました。一ノ瀬王子は失念しましたが、それは早い段階でリカバーすることにして、泉南市、阪南市では市民も力をいれて王子跡や熊野古道を守り続けていこうとする意気込みを感じました。このエリア歩いていても楽しい。
 次回からは紀州に入ります。

(いったん終わり)