平安期以前から丹波、丹後や若狭と京を結ぶ街道として存在していたという、洞峠を越えてみた。
丹波福知山明智光秀公研究会 http://naokinishio.flips.jp/ によると、平城宮時代から、海に面した若狭の国から京や奈良の都に海産物を送る流通ルートがあった。若狭青郷で生産された塩・海産物を背負子に担いで、まず、三国岳を越えて丹波上林に入り、次に洞峠を越えて鶴ケ岡で一泊して都へ運んだという。
文政3年(1820)棚野の豪農内牧長兵衛・長左衛門の二人と出資協力して、洞谷に新坂を開削して上林への通路を大きく改善した。(美山町誌)これが今の「古道」である。
歩いてみて、これはすごい街道だ。洞谷はエゲツナイほどの谷で、山側の高いところの岩盤を開削しており、それが見事なほど丁寧に作られていて歩きやすい道だった。それに景色も美しい。相当な資力・人力を投じたものと感嘆した。

一方、洞峠は世阿弥や明智光秀も通ったとされているので、今の道の他に旧古道があったのではないかとの考えもある。それを裏付けるように、地元長老の「現在の新坂道の上20mの所に旧道が存在する」という話がある。古道ウォーカーにとっては興味の尽きない峠道であった。
詳しくはYAMAP
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