どこでも walkin' 3

  そこにしかない風景を巡る

2019年11月

 平安期以前から丹波、丹後や若狭と京を結ぶ街道として存在していたという、洞峠を越えてみた。
 丹波福知山明智光秀公研究会 http://naokinishio.flips.jp/ によると、平城宮時代から、海に面した若狭の国から京や奈良の都に海産物を送る流通ルートがあった。若狭青郷で生産された塩・海産物を背負子に担いで、まず、三国岳を越えて丹波上林に入り、次に洞峠を越えて鶴ケ岡で一泊して都へ運んだという。
 文政3年(1820)棚野の豪農内牧長兵衛・長左衛門の二人と出資協力して、洞谷に新坂を開削して上林への通路を大きく改善した。(美山町誌)これが今の「古道」である。
 歩いてみて、これはすごい街道だ。洞谷はエゲツナイほどの谷で、山側の高いところの岩盤を開削しており、それが見事なほど丁寧に作られていて歩きやすい道だった。それに景色も美しい。相当な資力・人力を投じたものと感嘆した。
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 一方、洞峠は世阿弥や明智光秀も通ったとされているので、今の道の他に旧古道があったのではないかとの考えもある。それを裏付けるように、地元長老の「現在の新坂道の上20mの所に旧道が存在する」という話がある。古道ウォーカーにとっては興味の尽きない峠道であった。

詳しくはYAMAP
    帰り
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 高校時代から何度も通っているのに気が付かなかった!
右 ものべ
左 西坂丹後
べ と 後 は見えないが、間違いなくそうでしょう。
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 ビールを買いにバイクで走っていました。鍛冶屋まで来て、以前から気になっている3連のマウンドを見に行きました。

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   圃場整備が進んでいて、かなり前に完成しているんですが、どうした訳か3つのマウンドが残されています。普通ならエイヤっと更地にしてしまいそうですが、何か訳があるのか、3つマウンドが残されています。古墳なのか?  近くまで寄っていき、農道が続いていたのでさらに近づくと、とんでもない風景が広がりました。あっ!と声を上げ、しばらくたたずんだまま。こういう風景に出会いたかったのです。 3連のマウンドの謂れや、お地蔵さんの謂れも分かりませんが、また来てみたいと思える風景でした。  そうそう、ビール買いに来たんやった!

詳細はYAMAP

2019/10/10
2019/05/24

 ゆうパックを出しに行ったついでに我が中学校校区の神社めぐりです。随分前のデータも合わせてアップします。

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阿須々岐神社後背の金ヵ峰

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2019/11/4


 丹波は和泉や鶴ケ岡周辺になると、バス乗換接続がパズル並みで、ちょっとしたタイムロスがあると1日棒に振る恐れがある。事前のコース設定吟味に疲れたので、多少寝坊しても大丈夫な近場の北山詣にしてみた。コースは、気になっていた供御飯峠越え、さらに杉阪経由で京見峠、長坂越えの街道に接続することにした。時刻を気にしなくて良いのは楽やねえ。早速1時間の寝坊をした。
 供御飯峠(くぐい、あるいは、くごい)はその昔は天皇のお召になる御膳の米(供御くご)を献納するために越えた峠であろう。今は半国高山へのアプローチとして使われるのが主になっているようだが、そこのお地蔵さんはなおも場を支配しているようであった。供御飯峠は地蔵で持つ。立ち去りがたい峠であった。
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詳細はYAMAP
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