2017年4月13日
紀伊路6日目後編です。これから鹿ケ瀬峠を越えて紀伊内原まで歩きます。
鹿ケ瀬峠の登りは軽トラックも通れそうな幅広の道でしたが少々荒れていて、見晴らしもあまり良くなかったのでシコシコ登るだけでした。そういう登りだったので、峠近くのお地蔵さんの笑顔には大いに癒されました。小峠からの石畳の下りも状態よく保存されていて、歴史に残る道づくりとはこのことかと感動しました。この2点が本日のハイライトになりました。

◆鹿ヶ瀬峠の地蔵さん
紀伊路6日目後編です。これから鹿ケ瀬峠を越えて紀伊内原まで歩きます。
鹿ケ瀬峠の登りは軽トラックも通れそうな幅広の道でしたが少々荒れていて、見晴らしもあまり良くなかったのでシコシコ登るだけでした。そういう登りだったので、峠近くのお地蔵さんの笑顔には大いに癒されました。小峠からの石畳の下りも状態よく保存されていて、歴史に残る道づくりとはこのことかと感動しました。この2点が本日のハイライトになりました。

◆鹿ヶ瀬峠の地蔵さん
■コースタイム
14:05 ★(49)馬留王子跡、立場跡、鹿ヶ瀬峠まで2340m 14:08
14:13 旧道分岐
14:16 ターン点、鹿ヶ瀬峠まで2030m
14:30 鹿ヶ瀬峠まで1230m
14:43 ゲート
14:55 大峠の地蔵 15:01
15:02 法華壇■昼食休憩 15:29
15:31 鹿ヶ瀬峠・大峠
15:41 馬頭観音
15:43 小峠、石畳道
15:54 熊野古道公園、石畳道■休憩 16:00
16:09 題目板碑
16:14 金魚茶屋
16:22 ★(50)沓掛王子跡 16:24
16:35 爪書き地蔵
16:49 ★(51)馬留王子跡
17:00 放送塔
17:11 ★(52)内ノ畑王子跡
17:36 ★(53)高家王子跡、内原王子神社■休憩 17:55
18:13 紀伊内原
26.8km/8時間49分(山旅ロガー読み)内休憩:1時間45分
■マップ
・必要箇所は手動で拡大してください。
・柳ヶ瀬以南はMapの等高線が表示されません。
・ピンク色の線で山旅ロガーの軌跡を読み込んで標示させました。それに応じて若干のルート修正もしました。
1.楽しみを見つけて登る大峠
14:13、旧道分岐
馬留王子跡から5分ほど歩くと、古道の旧道の分岐がありました。林道(農道)ができるまでは、ここから取り付き、地理院地図の破線路に接続したと思う。

14:16、林道が分岐してターンして登りにかかる場所に、「熊野古道 鹿ヶ瀬峠 2030m」という看板がありました。
14:17、すぐにゲートがあり、歩行者用扉には「開けた人以外は閉めないこと」という注意書があります。そうすると峠越えの人がいったん開けたら、それ以後は開けっ放しになるのか?

樹林の中の林道の登りほどおもしろくないものはないものですが、それでも尾根筋を越す場所は見晴らしが効くので目を楽しませます。
14:26、コンター150m付近、蜜柑畑の上あたり。

14:28、破線路が登ってきて合流する辺り。蜜柑畑への分岐道がありました。明神山太陽光発電所の風車

道端の花。図鑑で調べると、オカオグルマまたはサワオグルマだけど、湿地でないのでオカオグルマか。

14:29、山桜

上記の山桜以後は樹林帯に入っておもしろくなかったのか写真がありませんでした。あった写真のメモによると・・・
14:30、鹿ヶ瀬峠まで1230m、道がジグザグしている辺り
14:31、鹿ヶ瀬峠まで1200m、右にターン、蜜柑畑へのハシゴがあった。
14:33、送電線を見上げる
尾根を忠実に巻いて登って行くので歩きやすい反面、時間はかかり、どこを歩いているのか分からなくなりました。尾根先、谷筋が現地確認ポイントなんですが、たびたび現われるのでいちいち確認するのがめんどくさくなります。勢い、地図ロイドでカンニング。
14:38、かなり深い谷を渡りました。分岐があって、これは地理院地図の破線路が上がってくる所でしょう。

14:41、樹のゲート?

14:42、本物のゲート。開けたら閉める。その手前には「鹿ヶ瀬峠まで700m」と関電の火の用心札がありました。

14:50、どうも今歩いている道より一段上に旧道があったようです。

路肩が崩れながらも続いています

14:54、旧道は小さなコブの峠を越える

14:55、鹿ヶ瀬峠まで152mの看板の横に「大峠の地蔵」の案内があったので行ってみました。
右手の坂が多分旧道で、そこを登ってきたところにお地蔵さんが微笑む、そういう作りになっていたようです。

道標も兼ねているようです。「 紀三井寺 七里 」
是/ の「/」は 「下り」 という意味なんかな?それとも単なるキズ、それとも普通に「是ヨリ」?
享保廿年十月。十五日かな?

痔の地蔵とか縛られ地蔵と言われていて、「水と米を備え、それを頂いて帰り粥にして食べると痔が治るとか」、尋ね人が見つかるように地蔵を縛って祈り、見つかると縄を解くという風習があったとか。
しかし、そういう話よりも、結構シンドイめして登ってきて、このお顔を拝見すると、一同「アーヤレヤレ」とホッとしたに違いない。それほど優しいお顔です。

15:02、法華の壇
元の古道に戻るとすぐに法華の壇・日像上人配流地、鹿ケ瀬山経王塚の案内があります。ちょっと考えた末、上に広場があるようなので登ってみました。

広場の奥に宝篋印塔がありましたが、ピカピカの新しいもののようでした。
「ある修行僧がここで修行半ばでなくなってしまい、後日ここで野宿した高僧が夜になって読経する声が聞こえたので見てみると、骸骨の中に舌があって、その舌で法華経を誦えていた。聞いてみると、あと少しで法華経をとなえ終えるのだと。」こういう伝説のある場所です。
3時ちょっと過ぎでお腹も減って喉もからからなので、ここで昼食2。まずは甘夏で喉を潤し、行動食のブドウパンでパワー復活。もう峠に登ったも同然ということで、気がゆるみ30分近く休みました。広場にはヤマザクラ系らしいサクラの樹がありましたが、花は終っていました。

15:31、鹿ヶ瀬峠大峠

茶屋や旅篭があったというだけあって、かなりの広場でした。

これからの熊野古道の案内板もありまして、それによると、紀伊内原まで、約10km、2時間半。あまりゆっくりもしていられないので下りにかかります(15:34)。
2.古の石畳を下って沓掛王子跡へ
まだ石畳はありませんが、立派な道が続きます。快適な下りです。途中で谷を渡る所があって、水は少なかったですが、時期によれば水もとれそうな場所でした。5分ほど下ったところです。カエルがゲコゲコ鳴いています。繁殖の時期なのか、谷に響き渡っている。
15:41、どことなくニノ瀬ユリに似ている。

15:41、すぐに馬頭観音

15:43、小峠
道標があり、大峠まで500m、この道を行くと猪谷へ降りるようです。

古い道標
右 かミくさ滝 ナントカ ってどこやろか?十五町とあるので。そんなに遠くではなさそうですが?

15:45、小峠を振り返る。ここから石畳道が始まります。503m続くといいます。

15:47、すばらしい道です。右手の樹はタブかな?

振り返って、路面を見る。しっかりした造りです。
古い石畳道はだいたい歩きにくいものですが、ここのはかなり歩きやすい。トレッキングシューズ以上だったら思い切ってバンバン歩を進めることができるでしょう。

いつごろ造られたものだろうか?絶えず補修はされていると思いますが、現役で使える立派な造りです。

15:54、熊野古道公園。ここまで石畳です。

ベンチ、テーブルあり、谷にも水が流れていて、よい休憩所だ。ここで16:00まで休憩。
これからの名所案内。少し下に沓掛王子跡の旧地があるようです。これは気になる。

休憩所を最上段にして、何段もの平地に遊歩道が造られています。おそらく棚田を提供してもらって公園にしたものかと。手入れがおそまつなようで、ちょっと荒れています。土地提供者の名前入りの標柱が建っていました。敬意を表して撮影。せっかくの土地なんだから、手入れせな。


公園から下は少しの間、現代の石畳道です。丸石を使っているので、これがまた歩きにくい。
ここまでこだわらなくても良いと思うけど。

16:06、5、6分降ると、ようやく玉石石畳が終りました。ヤレヤレという感じです。

16:08、公園の看板にあった沓掛王子跡(旧)というのはこの辺りか?標識などは見かけませんでしたが・・・(振り返り写真です)

16:10 題目板碑
前の梅畑は、法華堂(八大将軍徳川吉宗やその生母浄円院が帰依した広川町養源寺の源流とも言われている)で、この跡地にあった板碑をここに移したものである。右より一号碑に永亨□□、二号碑に嘉吉二年(1442年)、三号碑に永亨八年(1436年)、四号碑に寛正二年(1461年)の年号が入っている。いずれも室町時代のもので、郡内でも最も古い板碑の一つとされている。

16:14、金魚茶屋の休憩所にあった看板

ここには駐車場、トイレ等ありまして、ここからは車道を歩きます。昔の古道も残っていましたが、車道に入ってしまいました。
16:22、金魚茶屋跡から8分歩いて沓掛王子跡
文字が一部読みにくくなっていますが、『古くは「原谷字新出王子谷」にあったが、後に衰退した。江戸時代にはここ被喜の地に「鍵掛王子」といわれる王子社が、弁財天社とともに建っており、この王子社を「紀伊続風土記」では沓掛王子に比定している。』
こんなことが書いてあります。明治十年に弁天社もろとも原谷皇大神宮に合祀されています。

枝垂れ桜とともにある沓掛王子跡。奥に見えるは弁天社の鳥居です。

枝垂れ桜を上から

3.原谷路を降り内原王子神社へ
今までは「山口」という在所でしたが、地図によると、大谷、原谷、尾崎原、下垣外、岩の谷、内の畑、と続いて萩原の内原王子神社、そして内原へと至るようです。流れているのは西川で、その両岸に集落がが点在しています。大きくは原谷という地なので、原谷路としました。
トントンとクルマ通りを降りてゆく。時々古道が分岐しますのでそこを通りますが、パスしたところもある。
16:36、爪書き地蔵

格子の間から覗き込むと、線らしきものが見えましたが、地蔵さんかどうかは不明。

16:38、県道が合流してくるあたりですが、古道はエライことになっています。しかし、こういう道好きやなあ。

16:45、黒竹製品組合の前にあった案内板

16:46、いい感じの小径ですがパスしてしまいました。

16:49、馬留王子跡。
鹿ヶ瀬峠の向こうの馬留王子(東)に対して、西の馬留王子ともいう。この王子は江戸時代以降のもので間王子ともいうらしい。

16:53、旧道に入っています。

なお、この旧道の道端に一里塚跡があるようですが、石碑だけなので見落としました。
17:00、古道はいったん県道に合流してすぐに離れて行きます。その合流点に来た時、突然の大音響!!5時の時報代わりの音楽放送でした。放送塔の直下で、突然鳴ったものだからびっくりしたのなんの!
再度古道に入ります。。なかなかすばらしい道です。右に束ねてあるのが黒竹です。

17:08、川を渡って対岸(右岸)の道に入りました。内の畑です。

17:10、この階段を見て、迷わずパス。今熊野神社です。

17:11、内ノ畑王子跡

説明板

内の畑では、幼稚園にも行かない子どもが「バイバイ」とちゃんと挨拶してくれました。次いですれちがった下校中の中学生もちゃんと挨拶してくれる。きちんとした教育をしているのがうかがえます。某大都市のように、知らない人から声を掛けられたら逃げよ、と教えたり、知らない人から挨拶でもされたらそれは不審者と教える所とは違うのだ。オカシイ常識がまかり通っている。
17:23、高家王子への道。高家は「たいえ」と読むそうだ。

ソラマメ。久しぶりに見ました。

ノバラ

17:48、内原王子神社
広々とした境内、非常に清々しい気分になります。清浄とはこのことか、この神社はすばらしい。

高家王子社でもあります

近隣の多くの神社を合祀しています。先の内ノ畑王子(槌王子)も合祀している。和歌山県では合祀した神社が大変多いという。その理由はこちらを参照されたし。とんでもない国家を作ったものだ。

沿革
若一王子権現宮とも言われたようです。

昔の王子社はこんなんだったかという程の立派な神社です。
きちんとお参りしておきましょう。

ここでゆっくり休憩させていただきました。気がつくと20分近く経っており、あわてて出発(17:55)。
18:06、ここで古道を離れて紀伊内原の駅に向かいます。次回はここから出発。

18:13、JR紀伊内原着
切符を買っていたらちょうど電車が入ってきて、相当慌てました。無事席も確保できてヤレヤレ。

日帰りで出発が遅くなりましたが、明るいうちに歩き終えました。本来は2月末に予定していましたが、種々の事情で4月半ばになりましたが、延ばして良かった。第一季節が良く、桜とともにある王子を巡ることができました。
次回からは日帰りは効率が悪い。山旅で効率もないのですが、アプローチの行き帰りで肝心の歩く時間を越えるので一泊で田辺まで歩きたいと思います。塩屋から切目までは、かなり昔の2月に歩いてはいますが、再度歩き直しです。早春の紀州路もよかったのですが、新緑の紀州路もまたよろしいかと。
(いったん終わり)
14:05 ★(49)馬留王子跡、立場跡、鹿ヶ瀬峠まで2340m 14:08
14:13 旧道分岐
14:16 ターン点、鹿ヶ瀬峠まで2030m
14:30 鹿ヶ瀬峠まで1230m
14:43 ゲート
14:55 大峠の地蔵 15:01
15:02 法華壇■昼食休憩 15:29
15:31 鹿ヶ瀬峠・大峠
15:41 馬頭観音
15:43 小峠、石畳道
15:54 熊野古道公園、石畳道■休憩 16:00
16:09 題目板碑
16:14 金魚茶屋
16:22 ★(50)沓掛王子跡 16:24
16:35 爪書き地蔵
16:49 ★(51)馬留王子跡
17:00 放送塔
17:11 ★(52)内ノ畑王子跡
17:36 ★(53)高家王子跡、内原王子神社■休憩 17:55
18:13 紀伊内原
26.8km/8時間49分(山旅ロガー読み)内休憩:1時間45分
■マップ
・必要箇所は手動で拡大してください。
・柳ヶ瀬以南はMapの等高線が表示されません。
・ピンク色の線で山旅ロガーの軌跡を読み込んで標示させました。それに応じて若干のルート修正もしました。
1.楽しみを見つけて登る大峠
14:13、旧道分岐
馬留王子跡から5分ほど歩くと、古道の旧道の分岐がありました。林道(農道)ができるまでは、ここから取り付き、地理院地図の破線路に接続したと思う。

14:16、林道が分岐してターンして登りにかかる場所に、「熊野古道 鹿ヶ瀬峠 2030m」という看板がありました。
14:17、すぐにゲートがあり、歩行者用扉には「開けた人以外は閉めないこと」という注意書があります。そうすると峠越えの人がいったん開けたら、それ以後は開けっ放しになるのか?

樹林の中の林道の登りほどおもしろくないものはないものですが、それでも尾根筋を越す場所は見晴らしが効くので目を楽しませます。
14:26、コンター150m付近、蜜柑畑の上あたり。

14:28、破線路が登ってきて合流する辺り。蜜柑畑への分岐道がありました。明神山太陽光発電所の風車

道端の花。図鑑で調べると、オカオグルマまたはサワオグルマだけど、湿地でないのでオカオグルマか。

14:29、山桜

上記の山桜以後は樹林帯に入っておもしろくなかったのか写真がありませんでした。あった写真のメモによると・・・
14:30、鹿ヶ瀬峠まで1230m、道がジグザグしている辺り
14:31、鹿ヶ瀬峠まで1200m、右にターン、蜜柑畑へのハシゴがあった。
14:33、送電線を見上げる
尾根を忠実に巻いて登って行くので歩きやすい反面、時間はかかり、どこを歩いているのか分からなくなりました。尾根先、谷筋が現地確認ポイントなんですが、たびたび現われるのでいちいち確認するのがめんどくさくなります。勢い、地図ロイドでカンニング。
14:38、かなり深い谷を渡りました。分岐があって、これは地理院地図の破線路が上がってくる所でしょう。

14:41、樹のゲート?

14:42、本物のゲート。開けたら閉める。その手前には「鹿ヶ瀬峠まで700m」と関電の火の用心札がありました。

14:50、どうも今歩いている道より一段上に旧道があったようです。

路肩が崩れながらも続いています

14:54、旧道は小さなコブの峠を越える

14:55、鹿ヶ瀬峠まで152mの看板の横に「大峠の地蔵」の案内があったので行ってみました。
右手の坂が多分旧道で、そこを登ってきたところにお地蔵さんが微笑む、そういう作りになっていたようです。

道標も兼ねているようです。「 紀三井寺 七里 」
是/ の「/」は 「下り」 という意味なんかな?それとも単なるキズ、それとも普通に「是ヨリ」?
享保廿年十月。十五日かな?

痔の地蔵とか縛られ地蔵と言われていて、「水と米を備え、それを頂いて帰り粥にして食べると痔が治るとか」、尋ね人が見つかるように地蔵を縛って祈り、見つかると縄を解くという風習があったとか。
しかし、そういう話よりも、結構シンドイめして登ってきて、このお顔を拝見すると、一同「アーヤレヤレ」とホッとしたに違いない。それほど優しいお顔です。

15:02、法華の壇
元の古道に戻るとすぐに法華の壇・日像上人配流地、鹿ケ瀬山経王塚の案内があります。ちょっと考えた末、上に広場があるようなので登ってみました。

広場の奥に宝篋印塔がありましたが、ピカピカの新しいもののようでした。
「ある修行僧がここで修行半ばでなくなってしまい、後日ここで野宿した高僧が夜になって読経する声が聞こえたので見てみると、骸骨の中に舌があって、その舌で法華経を誦えていた。聞いてみると、あと少しで法華経をとなえ終えるのだと。」こういう伝説のある場所です。
3時ちょっと過ぎでお腹も減って喉もからからなので、ここで昼食2。まずは甘夏で喉を潤し、行動食のブドウパンでパワー復活。もう峠に登ったも同然ということで、気がゆるみ30分近く休みました。広場にはヤマザクラ系らしいサクラの樹がありましたが、花は終っていました。

15:31、鹿ヶ瀬峠大峠

茶屋や旅篭があったというだけあって、かなりの広場でした。

これからの熊野古道の案内板もありまして、それによると、紀伊内原まで、約10km、2時間半。あまりゆっくりもしていられないので下りにかかります(15:34)。
2.古の石畳を下って沓掛王子跡へ
まだ石畳はありませんが、立派な道が続きます。快適な下りです。途中で谷を渡る所があって、水は少なかったですが、時期によれば水もとれそうな場所でした。5分ほど下ったところです。カエルがゲコゲコ鳴いています。繁殖の時期なのか、谷に響き渡っている。
15:41、どことなくニノ瀬ユリに似ている。

15:41、すぐに馬頭観音

15:43、小峠
道標があり、大峠まで500m、この道を行くと猪谷へ降りるようです。

古い道標
右 かミくさ滝 ナントカ ってどこやろか?十五町とあるので。そんなに遠くではなさそうですが?

15:45、小峠を振り返る。ここから石畳道が始まります。503m続くといいます。

15:47、すばらしい道です。右手の樹はタブかな?

振り返って、路面を見る。しっかりした造りです。
古い石畳道はだいたい歩きにくいものですが、ここのはかなり歩きやすい。トレッキングシューズ以上だったら思い切ってバンバン歩を進めることができるでしょう。

いつごろ造られたものだろうか?絶えず補修はされていると思いますが、現役で使える立派な造りです。

15:54、熊野古道公園。ここまで石畳です。

ベンチ、テーブルあり、谷にも水が流れていて、よい休憩所だ。ここで16:00まで休憩。
これからの名所案内。少し下に沓掛王子跡の旧地があるようです。これは気になる。

休憩所を最上段にして、何段もの平地に遊歩道が造られています。おそらく棚田を提供してもらって公園にしたものかと。手入れがおそまつなようで、ちょっと荒れています。土地提供者の名前入りの標柱が建っていました。敬意を表して撮影。せっかくの土地なんだから、手入れせな。


公園から下は少しの間、現代の石畳道です。丸石を使っているので、これがまた歩きにくい。
ここまでこだわらなくても良いと思うけど。

16:06、5、6分降ると、ようやく玉石石畳が終りました。ヤレヤレという感じです。

16:08、公園の看板にあった沓掛王子跡(旧)というのはこの辺りか?標識などは見かけませんでしたが・・・(振り返り写真です)

16:10 題目板碑
前の梅畑は、法華堂(八大将軍徳川吉宗やその生母浄円院が帰依した広川町養源寺の源流とも言われている)で、この跡地にあった板碑をここに移したものである。右より一号碑に永亨□□、二号碑に嘉吉二年(1442年)、三号碑に永亨八年(1436年)、四号碑に寛正二年(1461年)の年号が入っている。いずれも室町時代のもので、郡内でも最も古い板碑の一つとされている。
日高町教育委員会
この板碑前にもちいさな休憩所が造られていました。

16:14、金魚茶屋の休憩所にあった看板

ここには駐車場、トイレ等ありまして、ここからは車道を歩きます。昔の古道も残っていましたが、車道に入ってしまいました。
16:22、金魚茶屋跡から8分歩いて沓掛王子跡
文字が一部読みにくくなっていますが、『古くは「原谷字新出王子谷」にあったが、後に衰退した。江戸時代にはここ被喜の地に「鍵掛王子」といわれる王子社が、弁財天社とともに建っており、この王子社を「紀伊続風土記」では沓掛王子に比定している。』
こんなことが書いてあります。明治十年に弁天社もろとも原谷皇大神宮に合祀されています。

枝垂れ桜とともにある沓掛王子跡。奥に見えるは弁天社の鳥居です。

枝垂れ桜を上から

3.原谷路を降り内原王子神社へ
今までは「山口」という在所でしたが、地図によると、大谷、原谷、尾崎原、下垣外、岩の谷、内の畑、と続いて萩原の内原王子神社、そして内原へと至るようです。流れているのは西川で、その両岸に集落がが点在しています。大きくは原谷という地なので、原谷路としました。
トントンとクルマ通りを降りてゆく。時々古道が分岐しますのでそこを通りますが、パスしたところもある。
16:36、爪書き地蔵

格子の間から覗き込むと、線らしきものが見えましたが、地蔵さんかどうかは不明。

16:38、県道が合流してくるあたりですが、古道はエライことになっています。しかし、こういう道好きやなあ。

16:45、黒竹製品組合の前にあった案内板

16:46、いい感じの小径ですがパスしてしまいました。

16:49、馬留王子跡。
鹿ヶ瀬峠の向こうの馬留王子(東)に対して、西の馬留王子ともいう。この王子は江戸時代以降のもので間王子ともいうらしい。

16:53、旧道に入っています。

なお、この旧道の道端に一里塚跡があるようですが、石碑だけなので見落としました。
17:00、古道はいったん県道に合流してすぐに離れて行きます。その合流点に来た時、突然の大音響!!5時の時報代わりの音楽放送でした。放送塔の直下で、突然鳴ったものだからびっくりしたのなんの!
再度古道に入ります。。なかなかすばらしい道です。右に束ねてあるのが黒竹です。

17:08、川を渡って対岸(右岸)の道に入りました。内の畑です。

17:10、この階段を見て、迷わずパス。今熊野神社です。

17:11、内ノ畑王子跡

説明板

内の畑では、幼稚園にも行かない子どもが「バイバイ」とちゃんと挨拶してくれました。次いですれちがった下校中の中学生もちゃんと挨拶してくれる。きちんとした教育をしているのがうかがえます。某大都市のように、知らない人から声を掛けられたら逃げよ、と教えたり、知らない人から挨拶でもされたらそれは不審者と教える所とは違うのだ。オカシイ常識がまかり通っている。
17:23、高家王子への道。高家は「たいえ」と読むそうだ。

ソラマメ。久しぶりに見ました。

ノバラ

17:48、内原王子神社
広々とした境内、非常に清々しい気分になります。清浄とはこのことか、この神社はすばらしい。

高家王子社でもあります

近隣の多くの神社を合祀しています。先の内ノ畑王子(槌王子)も合祀している。和歌山県では合祀した神社が大変多いという。その理由はこちらを参照されたし。とんでもない国家を作ったものだ。

沿革
若一王子権現宮とも言われたようです。

昔の王子社はこんなんだったかという程の立派な神社です。
きちんとお参りしておきましょう。

ここでゆっくり休憩させていただきました。気がつくと20分近く経っており、あわてて出発(17:55)。
18:06、ここで古道を離れて紀伊内原の駅に向かいます。次回はここから出発。

18:13、JR紀伊内原着
切符を買っていたらちょうど電車が入ってきて、相当慌てました。無事席も確保できてヤレヤレ。

日帰りで出発が遅くなりましたが、明るいうちに歩き終えました。本来は2月末に予定していましたが、種々の事情で4月半ばになりましたが、延ばして良かった。第一季節が良く、桜とともにある王子を巡ることができました。
次回からは日帰りは効率が悪い。山旅で効率もないのですが、アプローチの行き帰りで肝心の歩く時間を越えるので一泊で田辺まで歩きたいと思います。塩屋から切目までは、かなり昔の2月に歩いてはいますが、再度歩き直しです。早春の紀州路もよかったのですが、新緑の紀州路もまたよろしいかと。
(いったん終わり)
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