2017年6月13日


 熊野街道九十九王子・紀伊路を歩くの補充編です。2017/2/16に貝塚から山中渓まで歩いたときに、その前まで行ってうっかり失念してしまった、信達一ノ瀬王子跡へ行ってきました。何のことはない、「ここはなんやろか?」と思いながらスルーしてしまったところでした。

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◆馬頭観音
 滝畑金剛童子、境谷、昭和山、郷の峠に行った帰りです。和泉砂川で降りて、ポコポコと歩きます。

大鳥居交差点を過ぎると・・・(大阪方面に振り向いています)。
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おお、ココココ。前回はこの道標に見入ってしまい、一ノ瀬王子跡をすっかり失念してしまいました。
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 しかし、サインも何もないので、単なる神社跡か公園かと思ってしまうのはやむを得ないと思うのですが・・・立派な看板を立てよとは言いませんが、板切れ1枚位はあっても良さそうなのに。もっとも、信達宿にある案内看板にはちゃんと「信達一ノ瀬王子」の場所と、簡単な説明はありました。
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単なるお地蔵さんや石碑と思ってしまい、どこが王子跡やねん?王子跡の縁が感じられないのです。
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しかし、そういう場で存在感を主張しているのが馬頭観音です。
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 信達一ノ瀬王子は信達王子とか長岡王子などとも呼ばれていたようです。要は、長岡王子との位置関係がよく分かっていないらしい。実際に、今でも、和泉鳥取駅近くの鳥居の根元を見ると、「一ノ瀬王子跡→10m」と書いてあったり、古文書におおいても「後白河院一行は、厩戸王子を暗いうちに出発し、長岡王子に未だ夜が明けないうちに着いている。」とかあるようです。
 神奈備さんのサイトでは、長岡王子は一ノ瀬王子と同時期には存在しないとあり、以下の諸説を挙げられています。http://kamnavi.jp/kumano/osk/itinose.htm
(1)長岡王子は一ノ瀬王子の別称
(2)長岡王子は岡中を通る阪和線のガード下
(3)長岡王子は和泉鳥取駅の波太神社遙拝鳥居の場所(しかし、一ノ瀬王子の看板がある)
(4)長岡王子は岡中の樹齢800年の大樟の場所の鎮守社
(5)長岡王子は馬頭観音地蔵尊から南西の峠
神奈備さんは、長岡王子と一ノ瀬王子は別で、長岡王子は(4)の可能性が大と明解に説明されています。

 しかし、馬頭観音はそもそも民間信仰によるものだし、ここの狛犬や燈篭は信達神社の大鳥居(ここに来るまでに、その名の交差点があった)を移動させたときに、ここに持ってきたものであるといいます。長岡王子も含めて信達一ノ瀬王子の位置もヨクワカラナイというのが順当なところで、行政も正面切って、ここが信達一ノ瀬王子であるというサインは出しにくいのでしょう。

 ともかく、お参りはしたので帰ります。

途中、街道の傍らにあったお地蔵さん(前にも掲載しましたが・・・)
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さらにもう一箇所。
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信達牧野交差点
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ここから和泉砂川の駅に帰りました。

(終わり)