2017/9/20
2017/9/21
綾部に買物に行ったついでに「はそうじ」をフラフラと彷徨いてみました。それは20日のことで、その時はカメラを持っていなかったので、翌日、梅迫の高城山の下見に行った帰りに再度フラフラしてきました。その後も「はそうじの」道を都合3回ほど通りました。

◆はそうじのお地蔵さん
2017/9/21
綾部に買物に行ったついでに「はそうじ」をフラフラと彷徨いてみました。それは20日のことで、その時はカメラを持っていなかったので、翌日、梅迫の高城山の下見に行った帰りに再度フラフラしてきました。その後も「はそうじの」道を都合3回ほど通りました。

◆はそうじのお地蔵さん
なぜ3回も通ったか、それはこの道を通りかかったとき、小学校の遠足で通った道であるのを思い出しました。もちろん当時は地道です。

少し「今の田舎のうらぶれた場末感」が漂っていますが、どこかに面影はあります。その時はちょうど春で、少し高くなった道端や岸のはキンポウゲやシロツメクサが咲き乱れていました。アカツメクサも咲いていました。その時、ツメクサは詰め草や、などと教わりました。

しかし、2、3回通過しているうちに、どうもその時の高揚感はないのに気づきました。秋という季節のせいもありますが、どうも「今の田舎のうらぶれた場末感」のほうが、強まって来た感があります。

もちろん、こちらから小学校に通学してくる子もいましたが、小さな峠を越えてくるのに、こんな暗くて寂しいところを通るんや!当時はもっと明るい峠だったに違いないのですけれど・・・

今はどの田舎もそうだと思いますが、どうも田舎の喪失感が大きすぎる。人がいないし、いても機械頼りの効率一点張りの農作業で、人が手を入れてできるはずの細やかな風景がない。粗っぽいです。よくテレビなどで、田舎の風景の美しさを賛美し、癒やされるなどという放送がありますが、ちょっと皮相的すぎると思わざるを得ません。
さて「はそうじ」ですが、漢字で書くと「白道路」です。公式的にも「はくどうじ」でなく「はそうじ」のようです。「白道路」が「はそうじ」になったのか、元々「はそうじ」と言っていたのを「白道路」と漢字を当てたのかよく分かりませんが、はそうじ。

Web版綾部市史を見ていると、古文書(寛正二年(1461)の何鹿郡代広戸九郎左衛門尉の下知状。安国寺の寺堂再興のため国中に家別拾文宛の奉加を命じたものだそうな)に「はさうち」と書かれています。
ちなみに、何鹿郡のその時の村名は・・(左→右に読むのだと思う)
上林上下村 相国寺領
同 上下村 仁木殿御領
上杉村 於与記
高槻 八田上村
八田下村 吉美東西
原村 山家
上位田 下位田
上嶋 下嶋
漢部 上高津
下高津 報恩寺
小幡 新庄
西保 赤目坂
物部郷 はさうち
吾雀 同西方
栗村東西
ひょっとしたら、「はさうち」は「挟内」か?白道路は南北を低い山に挟まれた細長い集落で、そこにほとんど真っ直ぐな街道が走っているのでした。
さて、はさうち点描です。
お地蔵さん。最初は変わったおもしろいお堂があるとて、覗いてみると・・・

立派なお地蔵さんです、謂れは分かりませんが・・・


ここからすぐ東は峠で上八田に入ります。この道ははまっすぐ東に通じていて、秋の綾部市中学校の運動会に自転車で通った道です。それは白く光った道で、それで白道路かと思っていた。
峠を越えると・・・・蓮ヶ峰(の手前?)が大きく見える、その右手の山裾を降りたあたりの遠くに見える巨大な山は?天狗畑?その左手には頭巾山があるはずですが、それは蓮ヶ峰に隠れて見えません。

さて、また、はそうじに戻って、現在の公会堂。なかなか渋い!

元は何の建物だったのか?電柱の向こうに二宮金次郎君がいるのを見ると、元学校なのか?分校があったとは聞いたことがないけど。
帰りに見た三岳山。これも憧れの山です。

ふと通りかかった道で、小学校の遠足で見た「はそうじの道」を思い出したことはもとより、丹波の名山が見えたことに満足して帰りました。
(終わり)

少し「今の田舎のうらぶれた場末感」が漂っていますが、どこかに面影はあります。その時はちょうど春で、少し高くなった道端や岸のはキンポウゲやシロツメクサが咲き乱れていました。アカツメクサも咲いていました。その時、ツメクサは詰め草や、などと教わりました。

しかし、2、3回通過しているうちに、どうもその時の高揚感はないのに気づきました。秋という季節のせいもありますが、どうも「今の田舎のうらぶれた場末感」のほうが、強まって来た感があります。

もちろん、こちらから小学校に通学してくる子もいましたが、小さな峠を越えてくるのに、こんな暗くて寂しいところを通るんや!当時はもっと明るい峠だったに違いないのですけれど・・・

今はどの田舎もそうだと思いますが、どうも田舎の喪失感が大きすぎる。人がいないし、いても機械頼りの効率一点張りの農作業で、人が手を入れてできるはずの細やかな風景がない。粗っぽいです。よくテレビなどで、田舎の風景の美しさを賛美し、癒やされるなどという放送がありますが、ちょっと皮相的すぎると思わざるを得ません。
さて「はそうじ」ですが、漢字で書くと「白道路」です。公式的にも「はくどうじ」でなく「はそうじ」のようです。「白道路」が「はそうじ」になったのか、元々「はそうじ」と言っていたのを「白道路」と漢字を当てたのかよく分かりませんが、はそうじ。

Web版綾部市史を見ていると、古文書(寛正二年(1461)の何鹿郡代広戸九郎左衛門尉の下知状。安国寺の寺堂再興のため国中に家別拾文宛の奉加を命じたものだそうな)に「はさうち」と書かれています。
ちなみに、何鹿郡のその時の村名は・・(左→右に読むのだと思う)
上林上下村 相国寺領
同 上下村 仁木殿御領
上杉村 於与記
高槻 八田上村
八田下村 吉美東西
原村 山家
上位田 下位田
上嶋 下嶋
漢部 上高津
下高津 報恩寺
小幡 新庄
西保 赤目坂
物部郷 はさうち
吾雀 同西方
栗村東西
ひょっとしたら、「はさうち」は「挟内」か?白道路は南北を低い山に挟まれた細長い集落で、そこにほとんど真っ直ぐな街道が走っているのでした。
さて、はさうち点描です。
お地蔵さん。最初は変わったおもしろいお堂があるとて、覗いてみると・・・

立派なお地蔵さんです、謂れは分かりませんが・・・


ここからすぐ東は峠で上八田に入ります。この道ははまっすぐ東に通じていて、秋の綾部市中学校の運動会に自転車で通った道です。それは白く光った道で、それで白道路かと思っていた。
峠を越えると・・・・蓮ヶ峰(の手前?)が大きく見える、その右手の山裾を降りたあたりの遠くに見える巨大な山は?天狗畑?その左手には頭巾山があるはずですが、それは蓮ヶ峰に隠れて見えません。

さて、また、はそうじに戻って、現在の公会堂。なかなか渋い!

元は何の建物だったのか?電柱の向こうに二宮金次郎君がいるのを見ると、元学校なのか?分校があったとは聞いたことがないけど。
帰りに見た三岳山。これも憧れの山です。

ふと通りかかった道で、小学校の遠足で見た「はそうじの道」を思い出したことはもとより、丹波の名山が見えたことに満足して帰りました。
(終わり)
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