2017/11/12-13
ハナノキ段に登った時、佐々里の喫茶スペースウッドに、小浜から上賀茂神社まで歩いた(走った?)京都トライアスロンクラブ銘の看板がかかっていた。ルートは、(若狭)小浜ー谷田部−名田庄ー久坂ー染ヶ谷−五波峠−田歌−佐々里(はりまや)−品谷峠−八丁−卒塔婆峠−井戸−祖父谷峠−上賀茂神社(京都)。見てしまったからには歩かないと・・・ということで、最近では「西の鯖街道」と言われているルートをこま切れながら調べて歩いている。京から小浜までのルートはこれだけでなくいろいろバリエーションがあり、代表的なルートをGoogleMapにまとめておいた。
今まで歩いたのは、 【雲ケ畑街道の延長の小浜街道】雲ケ畑ー桟敷ヶ岳(尾桟敷)および祖父谷道(狼峠取り付きまで)−祖父谷峠(*)・・・井戸−卒塔婆峠−八丁−品谷峠−品谷−佐々里・・・田歌−染ヶ谷(*)、染ヶ谷−権蔵坂−須後(*)だけである。 (*)は大昔で、もう記憶が忘失している。 長坂越・周山街道経由の小浜街道は茶呑峠など、一部をかすめただけ。 おいおい、歩くとして、今は雲ケ畑街道の延長の小浜街道を集中的に歩きたい。
そもそも、「鯖街道」という名は近年の造語で、最近では観光客誘致ファーストとなり、ルートも本来の古道とは大幅に異なる国道を指定して、クルマで来る客を誘致したりして、飲んだり食べたり、土産物を買わせたりしている始末である。それでいいのか?
小浜や高浜をスタート地点とする若狭越の諸街道は14,5世紀頃・室町時代からだんだん整備されてきたものとされている。スタート地点は小浜だけでなく。若狭湾の津々浦々で、海産物を始めとするいろいろなものが山越えで運ばれてきた。京へだけでなく海のない山村にまで運ばれた行商の道。特に新鮮な海産物は「美物」とされ、それを、応仁の乱以後立ち直ってきた京へ運んだ山越えの道は街道となり、戦国時代においては「美物の道」と呼んでもいいくらいになり、今で言う宅配便並のスピードで京に運ばれていた、と春田さんの講演録1)には書いてあった。
さて古の「美物の道」を歩く、遠大な計画ではあるが、今回はなんと!佐々里から田歌への車道歩き!この区間は1回は歩いておきたいので、 所用で芦生に寄ったのを機会に無理やり歩いてみた。
■参考文献
1)福井県文書館研究紀要13 2016. 3、「 鯖街道誕生前史-戦国期京都人が求めた若狭湾の美物」春田 直紀
2)「北山の峠(上)」金久昌業

◆田歌
ハナノキ段に登った時、佐々里の喫茶スペースウッドに、小浜から上賀茂神社まで歩いた(走った?)京都トライアスロンクラブ銘の看板がかかっていた。ルートは、(若狭)小浜ー谷田部−名田庄ー久坂ー染ヶ谷−五波峠−田歌−佐々里(はりまや)−品谷峠−八丁−卒塔婆峠−井戸−祖父谷峠−上賀茂神社(京都)。見てしまったからには歩かないと・・・ということで、最近では「西の鯖街道」と言われているルートをこま切れながら調べて歩いている。京から小浜までのルートはこれだけでなくいろいろバリエーションがあり、代表的なルートをGoogleMapにまとめておいた。
今まで歩いたのは、 【雲ケ畑街道の延長の小浜街道】雲ケ畑ー桟敷ヶ岳(尾桟敷)および祖父谷道(狼峠取り付きまで)−祖父谷峠(*)・・・井戸−卒塔婆峠−八丁−品谷峠−品谷−佐々里・・・田歌−染ヶ谷(*)、染ヶ谷−権蔵坂−須後(*)だけである。 (*)は大昔で、もう記憶が忘失している。 長坂越・周山街道経由の小浜街道は茶呑峠など、一部をかすめただけ。 おいおい、歩くとして、今は雲ケ畑街道の延長の小浜街道を集中的に歩きたい。
そもそも、「鯖街道」という名は近年の造語で、最近では観光客誘致ファーストとなり、ルートも本来の古道とは大幅に異なる国道を指定して、クルマで来る客を誘致したりして、飲んだり食べたり、土産物を買わせたりしている始末である。それでいいのか?
小浜や高浜をスタート地点とする若狭越の諸街道は14,5世紀頃・室町時代からだんだん整備されてきたものとされている。スタート地点は小浜だけでなく。若狭湾の津々浦々で、海産物を始めとするいろいろなものが山越えで運ばれてきた。京へだけでなく海のない山村にまで運ばれた行商の道。特に新鮮な海産物は「美物」とされ、それを、応仁の乱以後立ち直ってきた京へ運んだ山越えの道は街道となり、戦国時代においては「美物の道」と呼んでもいいくらいになり、今で言う宅配便並のスピードで京に運ばれていた、と春田さんの講演録1)には書いてあった。
さて古の「美物の道」を歩く、遠大な計画ではあるが、今回はなんと!佐々里から田歌への車道歩き!この区間は1回は歩いておきたいので、 所用で芦生に寄ったのを機会に無理やり歩いてみた。
■参考文献
1)福井県文書館研究紀要13 2016. 3、「 鯖街道誕生前史-戦国期京都人が求めた若狭湾の美物」春田 直紀
2)「北山の峠(上)」金久昌業

◆田歌
■コースタイム
2017/11/12 ー7.2km
14:40 佐々里
14:59 白石
15:26 崩落現場
15:34 出合
15:41 口芦生
15:59 峠
16:13 芦生山の家
---------------
2017/11/13 ー7.7km
8:17 芦生山の家
8:19 芦生熊野権現社参拝
8:58 出合
9:05 芦生ロードパーク■休憩 9:15
9:26 唐戸渓谷
9:57 崩落・倒木現場
10:13 田歌・五波谷出合
10:18 田歌BS
2017/11/12 ー7.2km
14:40 佐々里
14:59 白石
15:26 崩落現場
15:34 出合
15:41 口芦生
15:59 峠
16:13 芦生山の家
---------------
2017/11/13 ー7.7km
8:17 芦生山の家
8:19 芦生熊野権現社参拝
8:58 出合
9:05 芦生ロードパーク■休憩 9:15
9:26 唐戸渓谷
9:57 崩落・倒木現場
10:13 田歌・五波谷出合
10:18 田歌BS
■マップ
広域に拡大すれば、小浜街道、高浜街道の全貌ルートが見えます。
広域に拡大すれば、小浜街道、高浜街道の全貌ルートが見えます。
■機材
カメラ:オリンパスXZ-2
カメラ:オリンパスXZ-2
スマホ:なし。
2017/11/12 14:35、佐々里峠から降りてきて、佐々里の三叉路から出発。明るいうちに芦生に着けそうだ。
14:40、佐々里の台風被害
これは酷い。道路に近い低いほうが伐採されていて、風通しが良くなり、その上部の杉がなぎ倒されたようだ。佐々里峠の上の方は問題なかったが、里のほうが酷いとは!狭い谷に風が集中したのもあるだろう。
14:50、京都美山高校
昭和59年開校らしいので比較的新しい。今はインターネット通信制になっているので、寮や校舎は使っていないと思うけど、冬はともかくそれ以外の季節は使いようがあると思うのだけど・・・
14:53、佐々里川を渡る。台風被害の復旧なのか、単なる道路拡張なのか?
14:59、白石バス停。バス停の看板は飛んでいた。
15:07、通行止め?さっき軽自動車が下っていったけど?
対岸に退避バイパスを作ってから崩落現場の土砂崩れ止の工事を行うみたいだ。
15:34、出合
ここの土砂を採取して、さっきの崩落現場の工事に使っている。ダンプがひっきりなしに往復していた。通行止めになるはずだ。
出合のお地蔵さん
なかなか特徴ある渋いお顔である。道標を兼ねているみたいだが「佐々里」くらいしか読めない。、
ここから由良川本流に沿って芦生に入っていく。
なお、金久昌業さんの「北山の峠(上)」によれば、出合−芦生・須後−ヒツクラ谷−権蔵坂−染ヶ谷も小浜街道だっただろうとされている。もっとも、金久さんは五波峠越が有力だと想定されているのだが・・・出合より下流には断崖絶壁があって、昔は通りにくかったのだが、そこは断崖上に道があったのではないかと推定されていた。
15:41、口芦生。芦生の松上げ場
芦生に入る前に峠があった。八丁山からノンストップで来たので、ここで結構疲れた。峠の地蔵さんの看板が立っていたが、肝心のお地蔵さんが見当たらない?
16:13、芦生山の家着。今日はここで泊まって打ち合わせ。
翌日、8:17出発。すぐ下にある神社にお参りしていく。
8:19、芦生熊野権現神社
芦生では、熊狩りの無事を願い、年明けから春にかけて、わさびを食べないという風習があるようだ。毎年4月10日に、わさびまつりが行われる。神前に備えられたわさびのしょうゆ漬けを村人が食べて、この日を皮切りに、わさびの解禁を祝うという。芦生は熊狩の村だったのだ。
8:51、口芦生。不住かな?
紅葉は色も冴えていて美しいのだが、台風の影響でまばら。
9:01、由良川
9:05、芦生ロードパークが見えた。
出合橋の親柱も三角コーンなみやな。向こうに見える東屋も倒壊の危険があるということで、使用禁止。この扱いはいかがなものか。金にならんものは手入れしないということか。
紅葉でも愛でておこう
河原に降りられるようだ。テントには適地なんだが、キャンプ禁止だとか。駐車場であるが、車中泊はいいのか?あまり手入れはされていないようだが、トイレの掃除はやっているようだった。
由良川。何の実?
9:46、山側の斜面が緩やかになってきた。もうすぐ田歌か。
9:57、倒木地帯
予防的に伐採した樹もある。立派なものだ。当地だけでなく、ボクのイナカでも府道沿いの林は伐採してあるところが多い。府からお達しでもあったのだろうか?
10:10、田歌(とうた)。今は圃場整備してあり広々としている。昔なら5月ごろになると狭い田んぼで早乙女が田植え歌を歌いながら田植えをしていた、そんな情景を「田歌」と聞くだけで思い浮かべる。
10:14、五波谷出合
当初、時間があればここを遡って、旧道がどうなっているか下見する予定だったが、芦生山の家の館長によると「あとかたもない」ということだったので、やめにした。痕跡ぐらいはと思うが、ビレッジラインの護岸を見上げながら立ち往生する姿を思い浮かべたので、後日、若狭側から登って、上から探索することにしよう。
10:15、田歌BS着
知見口まで約5.5km、歩いて1時間ちょっと。次のバスが11:31でこれまた1時間ちょっと待ち。微妙な時間割である。うまくできているので、ここでブラブラしながらバス待ちする。
田歌は川向うにも集落があり、この先のカーブを曲がったところにも集落がある。広い!
廃屋も見当たらないし(バス停裏の藁葺は無住のようだったけど)、田畑もきちんと手入れがしてある。美しい村だ。
立派な家もたくさん。林業で裕福な村になったのだろうか?
もう1回は来ることになるだろう。その時にでもじっくり見てみたい。
佐々里からの車道歩きもなかなか楽しめる道だった。
(とりあえず終わり)
コメント