2019/2/26

 星田に全現堂池というのがあります。妙音池の南300m付近で、住宅に囲まれていますが、結構大きな池です。この畔になにやら祠と石像、そして役行者像があり、何かなと思っていました。
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◆全現堂池端の役行者像
    調べてみると(例によって、交野古文化同好会ウォークレポートからの引用ですが)、以前、ここには3段になった三つの池があって、上から(南側)「上の池」(新池)、「中の池」(浅間堂池)、「下の池」(今池)と呼んでいたそうです。明治の陸測図ではすでに二つの池しか載っていません。さらに現在の地理院地図では、中の池だけです。この池が昔は浅間堂池と言っていたようです。
サイズ変更全現堂池
今昔マップから、真ん中の池が「中の池」(浅間堂池)
明治41年測図の陸測20000分の1地図、400×300pic以下にカット

 大昔、星田に富士垢離講というのがあって、その先達が延宝年間(1673~1680)に、大日如来の仏像を富士講の世話方と富士山に担ぎ上げ、富士山頂にある富士浅間社の奥の院で開眼供養を行って星田に持ち帰り、お祀りしたことから、この仏像を富士浅間大日如来と呼ぶようになりました。
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/hatuaruki10/index.htm
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◆これがその仏像かな?石像のようですが。

 この仏さんは「せんげんさん」といって、毎年8月7日に池の西にあるお堂で護摩が焚かれたようです。池の中に竹を四方に立て縄を張り御幣をつるし、その中で8月5日~8日まで朝昼晩の3回水行をしていました。この「浅間」が「せんげん」と通称され、「先現」あるいは「全現」と変化していったものらしい。この富士垢離講は「先現講」といわれ、戦後まで続いていたらしい。この講は昭和28年、12軒の講員があり、「南無先現大日如来」とお唱えして礼拝していました。
 この堂の横に小堂が建ち、役行者の像が祀られている(お堂はなかったけど)。池に降りる石段があり、ここで修験者が水垢離をする場所になっているらしいが、見ませんでした。
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◆全現堂池

かなりボケていますが、役行者像。
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    富士市立博物館の調査研究報告№6 http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html#y0201 によると・・・
 富士山の浅間大社は、ご祭神が木花之佐久夜毘売命(別称:浅間大神(あさまのおおかみ)ということですが、その水徳をもって富士山の噴火を鎮めることから深い信仰が生まれ、家庭円満・安産・子安・火難消除・航海・漁業・農業・機織等の守護神として広くお祀りされています。本地垂迹説によって、浅間大神の本地仏は大日如来ということから、室町時代には修験者による富士登山が盛んになってきたようです。本家のサイトでは、役行者が富士山に登ったとちらっと触れているだけですが・・・
 戦国時代末から江戸時代初め、長谷川角行が人穴に籠もり、修験とは異なる仙元大日神を信仰する教えを説き、これが関東を中心に広がり、江戸時代中期、富士講へと発展していったということでした。
 この江戸・関東中心の富士講とは別に、修験道に由来する富士信仰の講集団も富士講(浅間講)と名乗っています。主に、中部・近畿地方に分布していて、初夏に水辺で行われる水行(富士垢離)を特徴とするので、富士垢離講と言われています。この講は富士山への登山も行うが、そこは、大峰にも近いので、大峰山への登山を隔年で交互で行なっていたらしい。ここの遺跡はその名残でしょう。

 この富士垢離講は、関西では京都府相楽郡笠置町切山地区や、奈良の旧都祁村(現奈良市)上深川の講が知られています。平成の時代にあっても復元されているらしい。
http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/report/a6-1-2-6.html
https://blog.goo.ne.jp/mnjr05gob/e/fa0780d2fc7487fc39ed5521b892c29f
 また、毎日新聞によると、長弓寺(生駒市上町)の大師堂の南側にも石造役行者像があり、そこから鎮守伊弉諾神社に下る道の途中に「冨士浅間大菩薩」と刻んだ自然石があるという。ここの役行者像も富士山修験の講によるものらしい。
https://mainichi.jp/articles/20181010/ddl/k29/070/532000c

 さて、これは何かな?どうもスマホのカメラでは役不足のようで・・・
なにか彫ってありますが、よくわかりません。
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撮り直しが必要なようで。

(いったん終わり)