どこでも walkin' 3

  そこにしかない風景を巡る

カテゴリ:■若狭越 > 田辺街道

 平安期以前から丹波、丹後や若狭と京を結ぶ街道として存在していたという、洞峠を越えてみた。
 丹波福知山明智光秀公研究会 http://naokinishio.flips.jp/ によると、平城宮時代から、海に面した若狭の国から京や奈良の都に海産物を送る流通ルートがあった。若狭青郷で生産された塩・海産物を背負子に担いで、まず、三国岳を越えて丹波上林に入り、次に洞峠を越えて鶴ケ岡で一泊して都へ運んだという。
 文政3年(1820)棚野の豪農内牧長兵衛・長左衛門の二人と出資協力して、洞谷に新坂を開削して上林への通路を大きく改善した。(美山町誌)これが今の「古道」である。
 歩いてみて、これはすごい街道だ。洞谷はエゲツナイほどの谷で、山側の高いところの岩盤を開削しており、それが見事なほど丁寧に作られていて歩きやすい道だった。それに景色も美しい。相当な資力・人力を投じたものと感嘆した。
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 一方、洞峠は世阿弥や明智光秀も通ったとされているので、今の道の他に旧古道があったのではないかとの考えもある。それを裏付けるように、地元長老の「現在の新坂道の上20mの所に旧道が存在する」という話がある。古道ウォーカーにとっては興味の尽きない峠道であった。

詳しくはYAMAP
    帰り
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2019/10/30

 本日は田辺街道、宮脇から洞まで歩いておき、洞峠越えに備えることとする。今日のコースは全部が舗装の車道で、街道歩きならやむを得ない青線(赤線)ツナギのロードとなるのか、それとも街道の風情が少しでもあるのかということになる。
 結果は、街道の風情はほとんどなく、歩いている途中はやっぱり青線ツナギかと思ったが、それでも事後写真やマップを見直していうと、繋いで歩いた街道筋の村々が美しく思えてきて、このコースもちょっと見直した。

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 今日のコースはちょっと時間を間違えばバス時刻次第で踏査不如意になる心配があるが、さっそく寝坊して10分ほどの差で考えていたタイムスケジュールで行けなかった。当初は和泉から洞まで歩いて、登路探索も行い、14:39の帰りのバスの乗るつもりだったが、予定変更して、宮脇から和泉まで、下吉田まで旧道らしい道を歩き、和泉から洞までバス。そこから歩きで引き返すことにした。

詳細はYAMAP
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2019/10/5


 京から若狭越えを歩いている。旧周山街道で、鷹峰、長坂越え、周山、佐々江、神楽坂と来て、今回は海老坂越えで宮脇。そこから田辺街道に絞って大野、岩江戸、さらに大野ダムまで足を延ばした。(せめて大迫まで行くべきだったか?)
 若狭越え(小浜街道、高浜街道)を歩くならどうしても歩いておきたい区間なので青線(赤線)ツナギの要素も大きいが意を決して歩いてみた。涼しくなった秋の街道歩きのはずが結構暑く、自販機の少ないのには閉口した。街にはイヤというほどあるのに・・・よほど人も少ないのだろう。
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 結果、まずまず快適に歩けたとしておこう。大栗峠に向かうには、仏主峠越えか由良川沿いに大迫、篠原、下粟野がルートになるが、由良川沿いの隘路(今の大野ダム近辺、向山対岸、肘谷対岸が切り立っている)があり、難路だったろうなあと思える道だった。しかし、仏主峠越えもしんどそうだし、どっちもどっちかと思った街道だった。それに比べれば、洞峠越えを田辺の殿様が通ったのはむべなるかなと思った次第である。

詳細はYAMAP
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